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ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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低い雲の下から、「虹の切れ端(はし)」?が見えました。 (17:32)

一時間ほど前、虹が出てると聞き空を見上げましたが残念ながら分かり
ませんでした。

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多胡館跡
木曽義仲の関連遺跡として、以前から見たかった多胡館(やかた)跡
を見学。(9/7)

木曽義仲の父源義賢(よしたか)は、永治・康治(1141~1144)の頃、
都より下り多胡館に居を構えた。
久寿2年(1155)大蔵館(埼玉県嵐山町)で討たれた。10年前後多胡館
に居たことになる。

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近くまで行かないと標識がないようです。ここまでくれば大丈夫。

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東西、南北約110m、約1町歩。

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この案内板(現在地)のあるのは北面で、足元の道は堀(水色)が埋め
られた跡のようです。
堀の発掘で天仁元年(1108)の浅間山噴火の軽石層が確認された。
この館は源義賢が入館する前に、誰が築造し居館していたのだろうか?

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案内板の左手(東面)細い道(元堀)を南に行くと、右に東北隅の土塁
が残る。
(西北・東南にも土塁、堀跡が残っているようですが、整備されている
 のはここまで。草の枯れる秋・冬頃来てみたい。)

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高崎市吉井町多胡元郷31他

アクアマリンふくしま
アクアマリンふくしま (27日)

パンフレットには環境水族館とありますが、普通?の水族館とは違うと
いうこと?

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昨日(26日)の天気から快晴、展望も良いです。

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カラフルな魚は、楽しそうに泳いでます。

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生きている化石「シーラカンス」。動かない方が難しいのでは?

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社会福祉総合センター
群馬県社会福祉総合センター 地下フロアー

高齢化に伴って、あると便利な生活用品がいろいろ展示されています。

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話す人形やペットは人気者。老化防止にも良さそう。

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聴力を補う補聴器もいろいろな種類が。意志の伝達には不可欠。

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外出に便利、座って休憩、簡易車いす型もあります。

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床まで下がる車椅子、自由な行動をサポート。

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群馬県立義肢制作所 センター2F



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日本人の作るものは、使いやすく人気。
人間の足より速くはしれる?テレビで見たパラリンピックでも使われる
物もあるとか。

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本物の手はどちらか解らなくなります。

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昔、ホーキンス博士が車椅子にセットしたパソコンを使用して、宇宙の
歴史と謎を熱く語っていたのを思い出しました。

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群馬県立点字図書館 センター3F

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ボランティアの方が本を点字に訳したり、朗読してCDに録音しています。

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ボランティアを募集し、養成講座を開講しています。

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群馬県社会福祉総合センター
 前橋市新前橋13-12 Tel:027-255-6567


津雲神社の祭礼準備
津雲神社

25日の祭礼日を前に、杉の下枝切りや雑木の伐採などを行いました。
明日は、輪番の当番地区の清掃日です。
地区の人々が営々と守ってきた神社です。

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ガタゴトと重機の大きな音がするので、小休止に行って見ると。

大企業の産廃処理を引き受けた会社が不法投棄の上倒産。
土地を取得した会社が掘り起こすと、材木や石他ザクザク出てきて大き
な山が出来ています。
まだ終わっていないのでどこまで増えるのでしょうか。

今度できる工場も気がかりです。

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細野原の台地の東端に位置する津雲神社。
古代の東山道はどこを通っていたのでしょう。

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浅間山の雪もだいぶ融けているようです。

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帰り道、視界に飛び込んできた小鳥の集団。

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楽譜のようです。

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名前は?

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快晴と月
快晴、雲ひとつありません。
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浅間山の上に月、発見!

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小型デジカメでは限界。

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松岸寺の五輪塔
松岸寺

細い参道を北(碓氷川方向)へ入ると、山門が見える。

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山門の手前に十字路があり、多数の庚申塔も。古道?

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神仏習合の名残の石塔?

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本堂は開いていました。

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松岸寺の五輪塔  (案内パネルより)

言い伝えによると鎌倉時代前期の武将、佐々木盛綱(もりつな)夫妻の墓とさ
れているが、活躍した時代からは100年ほど時期がずれている。

現在の場所に移る前は、同じ墓地内の若干離れた墳丘上にあり、その墳丘上か
らは立派な鐙(あぶみ)が出土していることから盛綱本人でないにせよ有力な
武士の墓であると考えられる。

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五輪塔は、上部から順に空・風・火・水・地の各輪からなる供養塔・墓塔です。

この五輪塔は高さ約150㎝で、正応6年(1293)銘があり、完全な形で残って
いる五輪塔としては県内最古のもので、県指定重要部文化財です(右側)。

左側も同年の銘があるが、空風輪を失っている。材質は砂岩製です。

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佐々木盛綱  仁平元年~没年不詳(1151~ ? )

源頼朝(9/24)(9/25)(1147~1199)に伊豆の流人時代から仕え、
その挙兵に従い、治承・寿永の乱で活躍。
没年不詳ですが、岡山県倉敷市に盛綱のものと伝わる墓があるという。

頼朝が没した(建久10年1月13日)後の建久10年(1199)、3月22日
に出家し西念と称する。

建仁元年(1201)4月3日、上野国磯部郷に在り、城資盛・坂額御前の反乱の
制圧を命ぜられる。
命令は、4月5日に西念の下に届き、越後国鳥坂城に構える城資盛を激戦の末
に破った。(建仁の乱)

NHK大河ドラマ「平清盛」で進行しているス歴史ストーリーが、少し身近に?

2日で鎌倉から命令の文が届いたという、鎌倉街道のルートはどこに?


松岸寺(しょうがんじ)

  安中市磯部4-4-27
  Tel:027-385-7075





旧碓氷郡役所
旧碓氷郡役所入口に、「アート木れん 絵画作品展」 の掲示がありました。

原市公民館の絵画教室で、作品造りに励んでいる皆さんの作品展とのこと。

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描く対象に注ぐ、暖かいまなざしを感じる絵ばかりでした。

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庭には、珊瑚樹の花が咲いていました。

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旧碓氷郡役所は旧安中藩本陣に開設され、約10年後の21年6月に現在地に
移転新築された。

新築から約22年後の明治43年9月20日、碓氷郡役所は原因不明の火災に
よって焼失。
このため、翌明治44年9月に再建し、10月1日に開庁式を行った。

その後郡制度は廃止され、この建物は群馬県に残る、唯一の郡役所です。

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アート木れん 絵画作品展

会期:平成24年9月13日(木)~17日(月)
第6回作品展が開かれていました。

連絡先:原市公民館 絵画教室 須藤雅隆さん






和田掘公園
大宮八幡宮の元境内

善福寺川沿いの低地は元水田で、稲作がおこなわれていた?

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子ガモが潜って、しきりに小魚をとってます。取ったら別のカモが横取り!

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バードウォチングの人数人、楽しそうに談笑。

何が見えるか聞くと、ゴイサギの幼鳥で、昼間は寝ているとのこと。
目を凝らして見るといました、うれしいですね。

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狸も夜市街に繰り出し、活動しているようです。

豊かな古(いにしえ)を感じさせてくれる、森と川の恵みです。

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わずかのスペースに竪穴住居の復元があります。
発掘調査の成果を教育に生かす努力がされているようです。

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発掘の成果が、教育を通じて子供達の未来に生かされる。
1つの事に使って終わりでなく、観光や教育・生涯学習など税金のマルチ活用
が望まれる。

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八幡橋の上流の御供米(おくまい)橋。
低地で採れた米を、被岸・高台の神様に供物として持参したか?

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バス通りの一角の小屋根の中に佇む3石塔。

庚申塔 三猿 第5代将軍徳川綱吉のころ

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青面金剛像

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庚申塔 松木・三猿 享保5年(1720)第8代将軍徳川吉宗のころ

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このバス通りは、鎌倉街道の一部のようです。

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帰りに近くのスーパーに寄ったら、かわいいワンちゃんがご主人の帰りを待って
いました。



大宮八幡宮
大宮八幡宮(秋の大祭)

商店街は「大宮八幡まつり」(9/14~17日)ののぼりで賑やか。
のぼりのマークは「根笹」で、安中教会に新島家の家紋としてあったもので記
憶に新しい。笹の真ん中の葉の位地が少し違います。

明日からの露天(120店)の準備が始まっていました。(9/14午前)

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大宮と呼ばれるのは、往古から広大な境内をもつ社であったことから、社名とも、
また鎮座地の地名にもなったといわれています。

当宮は古く、江戸八ヶ所八幡のうちに数えられた大社です。
徳川時代には代々朱印地30石を受け、武勇の神として崇敬されてきました。

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社伝によれば、後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)、奥州に起きた前九
年の役の、討伐の勅命を受けた鎮守府将軍、源頼義がこの地に差しかかると八
条の白雲が棚引き、源氏の白旗が翻ったかに見えたと云います。

源頼義が、乱平定後の康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より分霊を
勧請したのが、東国での八幡宮建立の始まりでした。 (パンフレットより)

源頼義は、鶴岡若宮(鶴岡八幡宮の前身)(鎌倉市)も創建しました。

源頼義 永延2年~承保2年7月13日(988~1075.8.27)
    父:源頼信  子:源義家
  
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大鳥居(一の鳥居)、二の鳥居をくぐり表参道をしばらく進むと、神門の手前右手に多摩清
水社(水神様)がある。(手水舎手前)

 「広き野に 霊(たま)の清水の あるところ」  青畝(せいほ)

武蔵の国の3大宮の一つで「多摩の大宮」、或いは「武蔵国八幡一ノ宮」とも
呼ばれ、境内は1万5千坪と都内でも3番目の広さ。

御神水は「多摩乃大宮水」と称し、今はポンプで汲みあげているとか。

神門をくぐると、左右にイチョウの木が。

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菩提樹

徳川家康の次男、松平秀康公の夫人清涼院殿の御手植えという。

社殿を再興した際、それまでの南面から、江戸城守護の為東向きにされたという。
巾広い参道もその時からか?

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総檜造りの本殿(鎮座900年記念として昭和40年に造営)

祭のスタートの神事が行われていました。

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北神門(赤門)を出ると北参道左手に弓道場、振武殿(しんぶでん)がある。
源頼義は、弓の達人で若い頃から武勇の誉れが高かったという。

崖下の善福寺川にかかる八幡橋を渡れば、和田堀公園(旧大宮公園)。
江戸時代の敷地は、境内を除いて6万坪に及んだ。現和田掘公園を含む。

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ここは武蔵野台地の東端近く、東へ流下する善福寺川に接した高台が大宮遺跡
の発掘地です。

対岸の松ノ木遺跡では先土器、縄文、弥生の遺物が出土し、古代より生活の場
であったのに対し、この地の大宮遺跡では方形周溝墓が発掘され、当宮鎮座前
より、聖なる地であった事が推測されます。

この遺跡は、大宮八幡宮の旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とさ
れていた古代からの信仰が、のち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。

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大宮八幡宮
東京のへそ・子育厄除八幡さま

  杉並区大宮2-3-1
  Tel:03-3311-0105







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