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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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安政遠足侍マラソン
本年の侍マラソンも快晴。どんな仮装が見られるやら、楽しみです。

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桐の花の先にゴール熊野神社、浅間山の方向です。

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ぐぐっと群馬さんの名が見えます。

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顔を覆って熱そうですが?

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カラフルなゴレンジャー?

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丁須の頭(裏妙義)も良く見える中、快走のランナーが続きます。

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元気よく碓氷峠めざして走って行きました。

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板倉勝明
講演会 「文教の町安中の礎 -明君 板倉勝明-」
講 師  淡路博和氏

安中市学習の森「ふるさと学習館」で拝聴。

新島襄に蘭学などを学ぶ機会を与えた事や、日本で最初のマラソン「安政の
遠足マラソン」を挙行した事でも名を知られる、15代安中藩主板倉勝明。
(文化6年11月10日生~安政4年4月10日亡 1809~1857 48才7ヶ月)
 父・板倉勝尚(かつなお)板倉本家備中松山(岡山県高梁市)藩主板倉勝俊
 (あき)の弟。 母・勝尚の側室多賀(たか)

淡路先生は、「明君」といわれる「板倉勝明」の人物像を明らかにする多く
の古文書などを解読し明解に説明された。

改めて明君といわれる所以の諸施策に、封建社会にありながら次の時代を先
取りした先見の明による為政者の姿を浮かび上がらせた。

企画展「我が郷土の文学者」は2月3日(月)まで。

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受講者の方が持参された書「不倒 不倒」「倒れず 倒さず」?
号「白雲山人」とは誰、板倉勝明の父勝尚(号綽山しゃくざん)のようです。

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板倉勝明の業績

安政の遠足 (2012.5/8)
現在の遠足侍マラソン(H24① ② )(H25① ②  ③ 
漆園の記碑 (2012.8/11)
甘雨亭叢書 (2012.9/2)
郷学校 桃渓書院(2012.9/19)
種痘の実施
藩校 造士館の充実
蘭学を奨励(新島襄など)
石川忠房生祠及び生祠の碑

安中城址
国道18号線、「文化センター入口」信号を入ると。(1日)

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「上毛かるた」に詠まれた、「平和の使徒(つかい)新島襄」の看板。

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急峻な崖の上に本丸がありました。
現在は安中市文化センターが建っていますが、「八重が淵」の碑の辺りに安中城
の坂口門があったのでしょうか?

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西方に浅間山を望む。

安中藩の最大の任務は、横川の関所で「入り鉄砲に出女」を取り締まる
ことでした。

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西広寺
中山道安中宿の東木戸をくぐると、すぐ北へ入る熊野神社参道がある。
参道を中ほどまで来ると、西広寺に登る階段が左手にある。

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西広寺のツバキは、日光(じっこう)ツバキと言われる。

通常オシベが黄色いが、赤い花弁に包まれているので、赤が鮮やかに
目に入ります。

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巨木なので咲いている花がアップで撮れません。

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周囲1.2m、枝張り5.9m、樹高6.5m、樹齢推定300年。
日光(じっこう)の実生で、花は真紅の一重で唐子(からこ)咲き。
芥子の花に似ていることから「けしツバキ」とも呼ばれている。
            (安中市の文化財より)
                     
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帰り路に山門をくぐる。

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階段を降りると、左手に熊野神社が見える。

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かつての賑やかさを愛でるように、桜花が頭上を染めています。

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熊野神社のこの門は、安中城東門といわれています。
裏から見ると確かに武家門のようです。

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熊野神社から左に曲がると西広寺北口で、前の通路上に安中城東門が
ありました。

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正面突き当たりには「桝形」の石垣が良く観察されます。
石垣の前空地に東門番所が置かれていました。

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西広寺
 安中市安中3-21-25


旧安中藩郡奉行役宅②
ひな人形展

市民から寄贈された、江戸時代から昭和初期のひな人形(約80体)が
展示されています。

享保雛(高さ50cm)

見応えのある大きさと造り。

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3月3日のひな祭り、女の子のお祭りを引き立てる赤のもうせんが鮮やか。

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買い揃えたのでしょうか?同年代らしき羽子板。

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物語はすぐわかるものが好まれたか?

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ひな人形展

開催期間:平成25年2月5日(火)~3月24日(日)
休 館 日:2/12・2/18・2/25・3/4・3/11・3/18
開館時間:9:00~16:30
入館料:規定(安中市民および高校生以下無料)割引規定有。

旧安中藩郡奉行役宅
安中市安中3-6-9 Tel:027-381-3856
地図は(2/16


旧安中藩郡奉行役宅①
午後になっても、北側の屋根は雪があります。

江戸時代末期に建築され、今に残る郡奉行役宅。

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入口(北側)の長屋門と母屋の2棟が市指定重要文化財。

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道路拡幅により、南方向に曳家を行った。
古い写真によると、水路を渡り入口へ入る。

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曲がり屋が特徴の母屋。

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母屋南の庭には、梅が開花

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梅には雪が良く似合う。

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蕾がたくさんあるので、これからが花見の季節。

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駐車場には、石宮がありました。

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旧安中藩郡奉行役宅  安中市安中3-6-9 Tel:027-381-3855


江戸城
江戸城跡(2/5)

江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌(1432~1486)によって創築
されたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城
をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭
の整備が行われ江戸城の総構が完成した。

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いつからあるのかお地蔵様?

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楠木正成(1294?~1336)

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学生の団体の定番コース

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二重橋

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坂下門も修理中でした。カーブを描く蛤濠。

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蛤濠

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内桜田門(桔梗門)
見学の予約客が並んで待っていました。インターネットで予約可能。

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辰見櫓

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和田倉門(パネルの説明)

この橋を、和田倉橋といいます。
ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ和田倉門
がありました。橋を渡った皇居外苑側には桝形石垣があり、橋と一体で
門を構成していました。

慶長7年(1602)頃といわれる「別本慶長江戸図」には橋が描かれ、
「蔵の御門と云、士衆通行の橋」と記述があります。
また、「御府内備考」には、橋の由来が「慶長12年の頃の図に、ここ
に和田蔵と称せし大なる御蔵二棟を図せり。是御門の名の起る処なり。
(後略)」と記され、蔵があったため門が名付けられたとしています。
なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺りは和田倉という村落であっ
たという説もあります。

和田倉門には、鉄砲10挺・弓5張・長柄槍10筋・持筒2挺・持弓1
組が常備されています。
警備は、譜代大名で2万石から3万石のものが担当していました。

この橋は、昔そのままに復興されたものですが、江戸城の門と橋を偲ぶ
のにふさわしい景観をみせています。

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歩き疲れた時には、銭湯が暖まり疲れが取れます。

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安中藩江戸上屋敷跡
安中藩江戸上屋敷は、明治以降どうなったのでしょうか?(11/19)

私の手?いいえ。

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ボールを見ると地球で、日本列島もしっかりと。

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台座には、「日本野球発祥の地」とあります。

碑文には
この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。
1872(明治5)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた
同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(1843~1927)が学科の
傍ら生徒達に野球を教えた。
この野球は翌73年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本
格的な試合ができるまでに成長した。
これが、「日本の野球の始り」といわれている。
76年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残って
いる。
ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州ゴーラム出身、志願して南北戦
争に従軍した後、71年9月にサンフランシスコで日本政府と契約し、
来日。
77年7月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。
同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後
に大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に
広まっていった。
2003年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさにこの地は「日本野球発祥の地」である。
     2003年12月 [財]野球体育博物館

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風格ある入口は、歴史の流れを感じさせてくれます。

学者大名と言われた板倉勝明や、教育の先駆者新島襄を輩出した安中藩
の跡地において、新時代明治の教育にかかわる歴史が始まっていること
は、意義深い。

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我が国の大学発祥地 (碑文より)

当学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。
すなわち、明治十年(1877)4月12日に神田錦町3丁目に在った東京
開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合
併し、東京大学が創立された。
創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部・の4学部を以て編制され、
法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町3丁目の当地に設けられてい
た。
明治18年(1885)法学部には文学部中の政治学及び理財学科が移され
法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が置かれた。
このようにして東京大学は徐々に充実され明治18年までに本郷への移
転を完了した。
従って、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地という
事になる。 (中略)
明治19年7月創立の学士会は以上の9大学の卒業生を以て組織され、
その事業の一つとして、当学士会館を建設し、その経営に当たっている。
        平成3年(1991)11月 学士会


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隣のビルの周囲は、石のオブジェ?ここも安中藩かそれとも隣の屋敷か?

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この石は、何かの遺構でしょうか?

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石製水路?

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これは、近代芸術の作品のようです。

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小学館に寄ってみると、ドラえもんの電気自動車や、映画のパネルが。

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集英社の壁面は「?」、これが現代の日本文化の象徴「アニメ」か?

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安中城址の覗き石
覗き石 (11/8)

安政遠足の碑の右に大きな石がある。
この石が安中城にあった石か、明治以降のものか不明だが、チョット変わって
います。

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石に穴が開いている、覗くと碓氷峠(11/3)が見える?

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確かに穴が。

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覗いて見ましょう。

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? 小さな穴の先に見えるのは、駐車場の木の枝が見えますが。

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出来れば碓氷峠が見えるように、枝払いなどお願いします。

この「覗き石」(仮称)本当の使い道はなんでしょうか?
御存じの方はお知らせください。

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長命酒
九十九歴史講座 現地散策レポート⑨

板倉勝明公が安中志下巻の中で、「酒を醸(かも)する者あり、頗(すこぶ)
る美酒なり、我曾祖父銘をしか授けたり、醸すもの新兵衛といえり」と記した。
 (九十九史考より)

安中志を編纂した板倉勝明の曾祖父は、第12代安中藩主板倉勝暁(かつとし)
で、在位は安永9年~寛政4年(1780~1792)の12年間です。

世の名だたる酒をたしなんだであろうお殿様をして、「頗る美酒なり」と言わ
しめ、戴いた銘は「長命酒」。

一杯呑むほどに、寿命が延びる程の美酒に酔いしれてみたいが、今はない。

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道路に面していたという、石像。

松井田からの榛名道が国衙から下増田に入る地点にあったのが、上原酒造。

国衙には通称「上の酒屋」といわれる「神戸酒造」と、「下の酒屋」こと「上
原酒造」があった。

昭和6年調査した文書によると、上原新兵衛が明和6年(1769)安中藩主板倉
肥前守勝暁に、醸造した酒を献上したところ、公はその美酒なることを賞でら
れて、「長命酒」という銘を授けた記されている。  (銘酒桝花記より)

明和の頃の新兵衛の醸造酒は60石だったが、明治初期頃には醸造を止めたよ
うです。

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酒造用井戸があったところ。

直径は大きく、数歩歩かないと向かいに行けなかったという。
近所の井戸が枯れても、水をたたえていたと言うから、深かったのでしょう。

ご主人は、木が大きく育ちサツキなども咲いていたので井戸は埋めてあると
思っていたところ、大雨の日一気に沈んだという。
1ヶ月半かかり埋めたということです。奥さんもビックリ。

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酒造用の建物だった?ガラスは、波があるので古そうです。

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今が盛りの秋名菊

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稲荷の側面にOO神とある。

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ツワブキも満開

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十三夜を手近な長命酒で、観月の宴といきますか。



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