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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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栗屋・大峯の史跡
史跡の危機

九十九川の上流で砂防ダム数基を建設中で、すでに3カ所完成。
「栗屋鉱泉」が埋まりそうだし、石造物が存亡の危機かも。
行かないかとお誘いをいただき、細野ふるさとセンター駐車場に集合。

新井方面から西に向かい中河原橋で九十九川を渡る。

すぐ左手の細い道に入ると「栗屋」地区、源頼朝が狩りをした時追いか
けた猪を見失った所という。
尾根の南側は高墓で頼朝の愛犬「高白」の碑があり、以外に近いので納得。

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谷津田の細い道を入り、尾根方面へ。

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枝の下をくぐりながら進む。

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田んぼが無くなり、栗屋沢を上流へ。1号ダムの横を登る。

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ストップかと思ったら、右に登り道が。

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どこからか工事用道路が。

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大きな木の切り株のところに何かあったようです。

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「栗屋鉱泉」源泉のようです。

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鉱泉口に石が転がり込んでいたのを取り出し、泥を払ったら綺麗な元の
形が出てきたそうです。
ここから下流の「湯の屋敷跡地」まで引いていたようです。

しかし又ブルドーザーが一押しすれば消えてしまいそうです。

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水路?土手の中からかすかに流れ出ているのが鉱泉とのこと。
沢の水と分離しなければ随分薄まってしまいそうです。

なめてみましたが味は感じないです。

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次は御獄山の石造文化財群(大峯地区)へ。

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尾根近くまで登ると日がさして来ました、高墓が近いようです。
古い砂防ダムを埋めた工事用道路で隣の沢へ回り込みます。

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下って行くと小山が。これが御獄山?石祠が有りました。

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「仲冬良辰」?仲冬とは12月頃のこと。
偶然にも文化2年(1805)冬、落ち葉を踏みしめてここまで登って来たか?

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近くに焔摩天・帝釈天・吹風天・月天・日天・火光尊・不明確1が建立。

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御嶽山下の石造物がなかなか見つからず少し下ったら、逆光の切り株の
ようにシルエットが浮き上がり発見。

文献には3体ですが、1体(浮彫仏像・像塔50㎝台石60㎝)は失われたようです。
崖下の沢に落ちたのでしょうか?
さらにその文献には、不動明王(流失)とあります。残念。

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三面六臂浮彫像(上)・一面二臂左手に槍(下、60㎝文政四(1821))

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一度徒歩スタート地点に下山、「諏訪大明神」へ。

電柵をまたいで進み、栗屋沢を渡り右折するとまもなく、右平坦地・
左杉林で正面に見える。

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6段の石段を登ると石祠、寛永十酉(1633年)。

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小さいのに、阿吽の形相が楽しい。

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帰る道端にも石仏1体。

伝承の東道(あずまみち)、古東山道(こあずまやまみち)でしょうか?

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栗屋

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満行寺
宝蔵寺から満行寺まで歩くには

宝蔵寺西の兎沢川を渡ります。

わずか数mと短い「兎沢橋」なので、車なら橋だと気づかないかも。

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兎沢橋(うさぎさわはし)

昔、兎がたくさん住んでいたのでしょうか?

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すぐ右に曲がり再度兎沢川を越え、沢伝いに天竺尾根の峠まで登ります。
昔は、川の手前を右に斜めに登ったという。橋に頼らない道を造ったのでしょう。
途中沢が左右に分かれますが、左手の増田山頂方向に入ります。

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以前は通行人がありましたが、今は利用されずに雑草で行けません。残念!

天竺尾根遠景。

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車で上後閑地区に迂回し、天竺尾根方面に登ります。
やはり途中までで、道は藪の中に消滅?

他に複数の道があったので、次回リベンジしたい。

小規模な市町村制で、他行政区への道は整備が取り残されたようです。
自称「古道散歩愛好家」としては、せめて歩いて通行できる道巾の確保・整備
を願いたいものです
合併後の、広い視野でみた地域のネットワークの基盤整備が期待されます。

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天竺尾根を越して来たつもりで、下ります。

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龍貝戸橋(りゅうかいとはし)で、後閑川を渡ります。

少し下流の大平橋は、巾が狭く軽自動車までです。

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振り返ると、天竺尾根の北側が見える。

碓氷川から北の市内は、地盤の生成年が比較的若く、もろくて崩れやすい地質
なので、低く穏やかな景色となっているとか。

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東・西2本の道路の内、東側の農道から入ってみます。

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満行寺が別当を務めた榛名神社。

約200段の石段の途中に仁王門と、終段上に簡素な社殿が。

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左手には、諏訪神社が。

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道路を挟んだ杉林の中に、寺伝で源義国夫妻の墓とされる一角がある。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は2基あるが、それ自体は近世のものとされる。

源義国 寛治5年?~久寿2年(1091?~1155)

 平安時代後期の河内源氏の武将。源義家(1039~1106八幡太郎)の子。
 新田・足利両氏の祖。

 叔父(義家の弟)義光(1045~1127新羅三郎)との対立(常陸合戦1106)
 に敗れ、常陸国は義光流の佐竹氏に譲る。
 
 足利庄を成立させる。晩年にも藤原実能の屋敷を焼払い勅勘を蒙る。

  その父頼義(988~1075)は前九年の役のなかで、大敗した黄海の戦いでは
  長男義家の活躍で、わずか6騎となって逃れた逸話がある。その後やっと
  安部氏を平定した。
  義家は、後三年の役で勝利したが恩賞はなかった。

平清盛(1118~1181)が出現してくる直前の年代で、37年間は重複する。

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満行寺(まんぎょうじ) (古くは密蔵院と言われたとも)

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山号、青木(あおき)山

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本尊 延命地蔵菩薩(作者 不詳 鎌倉時代)

宝蔵寺も当初地蔵菩薩が本尊であったが焼失したという。復活したいものです。

木彫神像等4躯は県指定重文となっている。

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開山 深秀法印(じんしゅうほういん) 久安元年(1145)

開基 源義国(よしくに)(1091?~1155)

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中興開山 弘英法印(9世) 永世17年
中興開基 新田伊勢守信純(のぶすみ)(?~天正7(1579)年)(後閑城主)

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いつの日か宝蔵寺から、天竺尾根を越え、満行寺まで歩いてみたい。


 真言宗豊山派
青木山地定院満行寺
  安中市上後閑字満行1561
    Tel:027-385-8952






大内宿(2)
山田屋の向かいが玉屋(佐藤家)(6/24)

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以仁王が治承4(1180)年5月、平家追討に失敗し山本村(現大内)のここに
草履を脱がれたと言う。

以仁王の行路の伝記が保存されているという。一番古い宿か?

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湯殿山の石塔の脇の石段を登ると「子安観音」、「弁天様」方向に行くと絶景
ポイントが。

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タイムマシーンで江戸時代に着地! 

大内宿が宿駅として整えられたのは、17世紀中頃と推定され、本陣・脇本陣
が置かれた。会津藩主の参勤交代や廻米などの物資の輸送で栄えた。

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大内宿は戊辰戦争の舞台となったことから、本陣の図面など残っていない為、
他の宿の本陣を参考に復元された。

町並みの保護に注力した方々に感謝!

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根曲がりの大木は冬の厳しさを物語る。

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弁天様石段下から、会津若松を背にして一枚。

戊辰戦争に敗れた後の明治4(1871)年、山本八重の元に兄覚馬が京都で生き
ているとの知らせが入りました。
八重(1845~1932)は兄の子峰と、母佐久と共に京都に向かいました。

この下野街道を上って行ったのでしょうか?

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10時開店の三澤屋で昼?食。予約番号札を受け取りしばし待つと席へ案内される。

早朝出発したので「大盛」を注文。写真は高遠そば(ネギそば)。

「薬味のネギ」をかじりながら、「はしのネギ」の白身の曲がっているところで
蕎麦麺をすくいあげ食します。はしのネギが短くなっても、割り箸があるので安心。
ネギが残れば店の人に一言でラップに。

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入り口の石塔裏に以仁王の句が。

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川のせせらぎが目に留まり、小休憩。

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大内宿(1)
朝5:30出発(6/24)
北関東自動車道に入り東北自動車道白河ICを降りて、国道289号線を西へ。

甲子トンネルを抜け、国道121号線を会津若松方面へ右折。

「塔のへつり」「湯野上温泉」を過ぎて、大内宿方面へ左折する。

9時半なので宿入り口近い駐車場に停められ、下野街道大内宿へと歩く。

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日差しが強いのでスゲガサに「これはいい」

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ゆるやかにカーブしている。

下野街道は、会津西街道あるいは南山(みなみやま)通りとも呼ばれ、会津と
日光今市を結ぶ重要な街道でした。

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ムラサキホタルブクロ

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国指定「重要伝統的建造物群保存地区」となっている。

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宿場の用水路は中央にあったが、明治19年に道路の両側に変更された。

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水の恵みは植物にも。飲み物を冷やす冷蔵庫にも、いにしえはエコ生活。

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ツバメのひなは、マルマル モリモリ?。もうすぐ巣立ちか?

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高倉神社は平清盛の全盛期に反平氏の挙兵をした高倉宮(後白河法皇第二皇子)
が戦いに敗れて潜行したと伝えられています。

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山形屋 
十一そば? 丁寧に説明してくれました。
十一(といち)そばは、そば粉10につなぎ1を加えてソバを打つ方法です。

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山田屋 
各家とも屋号がかかげられているが、名前と屋号が同じなのは当店のみ。
21代400年の歴史が。この店30年、ひかえめな説明に、凛とした響きが。

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店先での会話は旅の楽しみ。全員ガイドのおもてなしでこのにぎわいが。

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地蔵峠を越えて(3)
元禄の道しるべ 

倉渕町から松井田町に向かい、養豚場と養鶏場の間の右側に絞って探すと、ありました。

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元禄5(1692)年建立。

「みぎは山みち、ひだりはまついだ」とあり、県内でも最古のものの一つ。
                             (案内板より)

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なぜここに?不要では?の疑問が。

旧道は蓮華院付近からこの地点まで上がり、二手に分岐したのでしょうか?

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道しるべの脇まで斬り倒した木が積まれ、かろうじて草の中から頭部が見えま
した。
汚れた白い案内板がなければ解りませんでした。

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コアジサイの花を摘んでいる人に会いました。茎の紫など押し花に使うとのこと。
碓氷川熱帯植物園でのフラワーアート展を思い出しました。(5/20)

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地蔵峠を越えて(2)
松井田町と倉渕町の境界、地蔵峠付近に殉難碑が建っています。

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慶応4(1868)年閏4月、小栗上野介家臣塚本真彦一家6人(母・妻・子)は
権田から七日市藩への脱出に当たり、母と妻2組に分かれ行動した。

この殉難碑は、水沼山中で自害した母と養女の慰霊碑。

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自害した場所は深い山中のため、地蔵峠の西方道端の丘上に昭和57年小栗上野
介顕彰会により建てられた。

新しい殉難碑の後ろに古く小さい地蔵尊が2体あるが、殉難碑との関係は不明。

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妻と行動を共にして亡くなった姉妹の観音さまも、相間川ほとりにあるとか。
妻と乳飲み子の嫡男は無事脱出したとのこと。

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コアジサイ

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友人から「道しるべ」があると聞いたのですが、見当たりません。




地蔵峠を越えて(1)
高崎市倉渕町からの帰り道、地蔵峠からの榛名山を望む。

古くは、大戸道(地蔵峠回り)という。物資の輸送で賑わったとか。

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さあ、チョコの散歩へ。

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