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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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夏の庭
レモン 

強い香りと虫の羽音が賑やかで南国の雰囲気。

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サツキももうすぐ満開。

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カエルは雨待ち?

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芍薬 

立てばシャクヤク・・・でも雨後のせいか重そうで・・・

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カタバミ

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金剛寺(2)
平安時代 (794~1185/1192年頃)
 
 延暦13年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約
 390年間を指し、平安京が政治上唯一の中心であった。 (撮影5/25)

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上野駒牽(こうずけこまひき)
 
 東国では早くから馬の飼育が盛んで、10世紀頃には宮中に貢進する馬の御牧が
 甲斐・武蔵・信濃・上野の4国に設定された。
 
 上野国には9牧あり4歳以上の良馬50疋を毎年8月28日に貢進した。

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899年 上野国碓氷坂(うすいのさか)と相模国足柄坂(あしがらのさか)に
     関所を設ける。
     
     これは馬を巧みに利用し集団で牧の馬を盗んだり、一般農民を苦しめた
     「しゅう馬の党」の横行の為でした。
     
     彼らは碓氷坂付近の運送も掌握して収入源としていたようです。

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939年 下総の豪族平将門は935年承平・天慶の乱を起こし、この年上野国府
     (こくふ)を占領、親王と称し東国の諸国司を任命する。

940年 平将門、平貞盛・藤原秀郷らに討たれる。
        (平清盛が生まれるのは約180年後です)

     九十九地区にある国衙の地名はその時安全なこの地に避難してきた、
     「国衙」の役所跡という説がある。

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999年~1012年 任国へ下った上野国の国司達から藤原道長へ馬が贈られて
           います。(御堂関白記)
           
           馬の需要が多く喜ばれたことが分かります。

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 橘貞光とも言われるのは、菅原道真に代表されるように藤原氏に権力が集中して
 いく中で地方に下った氏と結びついたのかもしれません。

 摂関政治の全盛期を謳歌した藤原道長の時代に、中央京都と地方諸国を掌握する
 と共に物流に重要な碓氷坂や足柄坂の障害を取り除いていきました。
 
 そんななかで、源頼光・碓氷貞光などに物語が付されていったのでしょう。

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 東国の馬が次の時代を担う武士団形成の基盤となっていったようです。

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金剛寺(1)
金剛寺の創建は長元年間(1028~1037)で開基は、碓氷貞光。
寺名は碓氷山定光院金剛寺。真言宗豊山派。

関東八十八ヵ所霊場 第3番霊場。本尊は十一面観世音菩薩像。
中興 応永元年(1394)年3月 慶秀僧都          (撮影5/25)

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碓氷貞光(954~1021)
 
 平安中期の武人。天暦8年生まれ、治安(じあん)元年9月死去、68才。
 初名は貞通。通称は荒太郎。碓井貞光、平貞光、橘貞光、碓氷定光等の
 別称がある。

 碓氷貞兼の子として碓氷峠(霧積山付近)の山中で生まれた。
 妻は産後の肥立ちが悪く亡くなり、貞兼も貞光が7才の時病歿した。
  
 父の遺言「立派な武将となって家名を挙げよ」を守り、山野を馳せて
 身体を鍛え武術を練り学問に励んだ。

 長じて源頼光に仕え、渡辺綱・卜部秀武・坂田金時と並んで四天王の
 ひとりとして勇名天下に轟いた。
 
 伝説になった大江山酒呑童子退治は有名です。
 その後、生まれ故郷碓氷峠へ戻ります。


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源頼光(948~1021)

 満仲の長子で清和源氏の3代目。
 父満仲が摂津国多田に源氏武士団を形成し、頼光が継承。

 藤原摂関家の警備などの武士でもあり、摂関家の家司をも務める。

 藤原道長の父・兼家の葬儀の際、道長の堂々たる態度をみた源頼光は
 将帥の器であると感嘆して、自ら従うようになったという。
 
 藤原道長の権勢の発展につれてその側近である頼光も部門の名将「頼家
 の守護」と呼ばれるようになり、同じく 弟の頼信と共に後の清和源氏
 の興隆の礎を築く。

 後世に成立した「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」、室町時代成立の
 「御伽草紙」などで丹波国大江山での酒呑 童子討伐や土蜘蛛退治の
 説話でも知られる。
 古典「平家物語」では精兵の1人として頼光の名が挙げられている。


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藤原道長(966~1028)
     康保3年~万寿4年12月4日(1028年1月3日)

 道真は一条天皇に長女彰子を中宮とし、三条天皇が即位すると次女の
 妍子(けんし)を中宮とします。
 
 三条天皇の眼病を理由に、彰子が産んだ敦成(あつなり)親王を即位
 させ後一条天皇とし摂政となりますが、一年で息子頼通に譲ります。
 
 さらに娘威子を後一条天皇の中宮にし「一家立三后」と驚嘆されました。
 そして盛大な祝宴を開き詠んだ歌は有名です。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」


 文学を愛好した道長は紫式部・和泉式部などの女流文学者を庇護し、
 内裏の作文会に出席するばかりでなく自邸でも作文会や歌合を催し
 たりしました。


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碓氷貞兼霊社
 碓氷貞兼と貞光父子を祭った小さな赤い社。
 旧碓氷峠を群馬県側に少し下ったところにある。傍らに一つ家の歌碑。
 
とのこと、訪れてみたい。

写経体験は(5/26

金剛寺
  松井田町新堀1058
  Tel:027-393-0252




チョコの散歩道
カラタチの実が大きく。花は(5/1)。

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昨年落ちたドングリから芽が。根は力持ち、ドングリを持ち上げます。

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スダチの花も咲きだしました。

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おりこうさん、おまたせ。

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高天原がありそうな?光模様。

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カモが三羽夕食中。

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写経体験(金剛寺)
金剛寺で写経体験
講師は金剛寺大僧正であられる前澤先生。

筆ペンで写経の方もいたが、自分は初めてだったのでボールペンで。

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この字は?書き順は?など初歩的なことで疑問が。
もちろん正確な意味は解らない。

1時間正座が続かない。ちょうど「お茶にしましょう」の学習指導員の声。
ありがたい。

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本堂で全員で読経と焼香。住職による一部解説、時間がきたのが残念。
次回の計画も願いたい。

供物もいただきおみやげに。「行」の後なので格別のおいしさ。

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金剛寺は「東国花の寺 百ヶ寺」「群馬14ヶ寺」の1寺。
境内には、魅力的な花が。

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写経が終わった後、俳句の会は別行動、できた?
ポピー
ポピーはさわやか

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これもポピー?

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お互い慣れたのか近い距離で。

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少し先へ移動。

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型染め
高崎市染料植物園で講座を受講した人達が高崎西公民館に集まり、篠崎先生を
お迎えして自主的に制作活動をしています。毎月1回の楽しみ。
市内の他公民館でもサークルがあるようです。

型のり作り 疲れたら交代、分業で。出来上がりは先生のOKで。

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生地張り  しわのないように。テープで不要なのり対策。

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のり置き  型紙を押さえてお手伝い。

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デザインを考案し、型彫りと紗張りで型作り。

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染料の煮出し 自分で使う色は自分で決めます。

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染め  デザインどうり色が出るか?

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駐車場に作品の列。 天気が良いとすぐ乾きます。

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アカシヤの道
ノアザミ

小さな花の輝き。(23日)

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いずれがあやめか?かきつばた? あやめのようです。

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サツキが咲き始めました。

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アカシヤ~の雨がやむとき~

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みつばちも楽?。ニセアカシヤの大木で移動しないで密集め。

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シラサギがいつもの夕食。

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見落としそうな小さな看板が。(22日)

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このさきにワラビ畑があり自由に取って良いとあります。
行ってみると確かにあります。自家用では食べきれないということでしょう。



染織史家 吉岡幸雄氏
高崎市染料植物園で吉岡幸雄氏の講演会「和紙染めの歴史と現在」が開催された。
(20日)(前出4/22

染織史家吉岡幸雄(さちお)先生は「染司(そめつかさ)よしおか」を率いて、
植物染めの和紙で日本伝統の神仏に供える造花をつくる技の復活と日本の伝統
色の再現に取り組んでおられます。

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紙の歴史。日本における紙の需要の増加の要因。仏教による全国統治の為の写経。

染和紙に金・銀・藍で筆写する技法の発展。和紙にすき込む材料の多様な工夫。

など当時の国力を注いで発展したことを解りやすく説明されました。

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午後は、「シネマテークたかさき」で25日(金)まで限定上映されている「紫
(むらさき)」の鑑賞と上映後吉岡先生の舞台挨拶とスクリーントークがありま
した。

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植物の根・実・葉などの天然染料で日本の和紙を染める。
日本の色の豊富さ、再現する道のりの試行の連続がスクリーンで続く。

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先生の正面を見据え、京都弁混じりの柔らかくも力強い言葉に、諦めずに追い
求めてきた男の魂と自然への謙虚さが伝わって来た。

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映画上映ではキャンセル待ちが並んだ。静岡から来たという女性3人組も見られた
ようです。高崎は日本染色文化を守る東の拠点と言えるでしょう。

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朝少し時間があったので花壇の花写真を撮ってると、館長さんがパンジーも
そろそろ終わりで植え替えの時期ですとのこと。
いつも楽しませてもらってます。

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ヤブデマリ

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これは?

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好きな色は?の問いに「紫です」

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講演会(写真)とスクリーントークの後サイン会が開かれた。

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サインの右は、ハス染めの散華3色の内一つ香色の散華。
講演会参加者へのプレゼント。

散華(さんげ)とは仏を迎える場を清めるため蓮の花びらをまいたが、その後
蓮の形を模した色紙となったもの。

楮(こうぞ)の白皮を染め、杉原紙研究所で手漉きした和紙。
形は正倉院宝物の緑金箋(りょくきんせん)を参考に。

ハス染め3枚の黄色は葉で、薄墨色は実と果托で染め鉄媒染、香色は実と果托を
明礬で発色。


~お知らせ~

「NHK(Eテレ)で25日放送があります」と先生が一言。
並んでる人も「25日?」

リモコンで25日の番組表を見ていくと、ありました。

NHK(Eテレ)25日 午後7:25~7:48 課外授業 ようこそ先輩 
           「豊かな色の世界を知ろう~染色家 吉岡幸雄~」






新島襄旧宅(2)
新島襄は元治元(1864)年6月14日、福士卯之吉の助けによりアメリカ人セイフォリー船長のベルリン号に乗って密出国し、7月2日上海に到着している。

新島襄は、サンフランシスコを明治7(1874)年10月31日に出発し、11月26日に横浜に到着。アメリカン・ボードの宣教師となった新島の任地は神戸で、休暇は2週間だった。

新島家は大政奉還により明治元年に安中へ引き揚げていたため、新島襄は東京から人力車で20時間以上かけて28日真夜中に安中に到着、伝馬町の山田屋旅館に宿泊している。

翌日29日、両親と10年ぶりの再会を果たします。そして12月24日に神戸へ向かうため安中を離れました。

休暇を延長した新島襄の心中を察することができます。

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旧宅前の庭(17日)

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無料駐車場の片隅にお花畑が。(17日)
近くの方が植えてくださったとのこと。旅人に癒しのひとときを。ありがたい。

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赤花夕化粧

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