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染太郎

Author:染太郎

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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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ペットボトルでつくるロケット
夏休みの工作 ペットボトルでロケットをつくろう

用意するもの ペットボトル(500ml炭酸飲料) 2本 (注意参照)
       食品トレー  1個
       わりばし   2本
       水道ホース  5~6㎝(外径20㎜)
       発砲入浴剤  1個
       水  (ペットボトルなどに入れて)

       ビニールテープ カッター はさみ こずちなど

注 意 : 発砲入浴剤から炭酸ガスが発生し、其の推進力を利用します。
      
      普通のペットボトルでは、破裂する恐れがありますので、必ず炭
      酸飲料用を使って下さい。
      6気圧までの耐圧仕様になっている。

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ロケット本体を作る

 ①(写真上)1本のペットボトルの先を切り、他のペットボトルの底に着ける。

 ②(写真下)さらにペットボトルの真ん中を切り、他のペットボトルの先端
       に着ける。
       (端はビニールテープで、保護する)

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 ③食品トレーで直角三角形の「羽」を3~4枚作る。

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 ④「羽」の周囲をビニールテープで補強してから、ペットボトルに貼りつける。
  (間隔を均等に)

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ロケット本体の完成

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噴射口用「栓」を作る

 ⑤水道ホースの真ん中に「わりばし」をいれ、まわりに切った割り箸を詰め
  円形にする。

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 ⑥先端を十文字にテープを2~3回貼る。
  
  先端から下へ、テープ半分ほど重ねながらテープを巻き、割り箸部分2~
  3㎝まで巻く。そのまま上に戻り巻き、上から1㎝位手前で止め切る。

  注意:「栓」先端部分、水道ホース下方と割り箸部分、に隙間がないように。

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ロケット本体と栓(せん)の完成。 ロケットに名前を付けよう。

(ロケットの本体や「羽」に絵を書いたり、色テープで模様を付けてみる。)

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噴射ガスの準備

 ⑦発砲入浴剤を袋の外からこづち・小石で軽くたたき、細かくする。
  (粉末ならそのままで)

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打ち上げ

噴射口から発砲入浴剤を入れ、水を3分の1(170ml)程入れ、栓をする。
(ペットボトルの先を切った部分を使うと、こぼれにくく便利です)

(注意:栓のかわりにキャップは、絶対にしない事。破裂して危険です)

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前方30~45度位の角度に傾け、割り箸部分を地面にしっかりさす。
(先に割り箸で穴を開けておき、栓をしてすぐ刺す)

(注意:ロケットの前に顔や手を出さない事)


(参考)ロケットランチャー(打ち上げ機)を使って打ち上げるには
    
  用意するもの   金属棒 : 直径3~4㎜(長さ60㎝位) 1本
                クリーニングハンガーで可(ペンチで切る)
           ストロー: 直径5mm    1本

 ストローを半分に切り、ロケット本体の「羽」と「羽」の間にまっすぐに貼る。
 金属棒を前方30度位の角度で、地面に20㎝位刺す。
 
 
 発砲入浴剤と水を入れ、栓をする。ストローに棒を通し、下までおろします。
 (栓のガイド:ハンガーの?部分を金属棒に直角にテープで巻き、中に割り
        箸を通しロケットを乗せると安定する)





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チョコのアルバム
チョコの古いアルバムめくっていたら、子犬の頃の写真が。

腕の中で、眠くなってきます。ウトウト、母犬の夢?。

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ボンボンで遊んであげると、ガブリ。かむ癖が出来てしまいました。

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疲れると、無視。「迷惑だワン」

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テーブルの下から、「散歩しよう!」

晴れの日も、雨の日も、笑顔で散歩。ジャンプが得意。

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どう? わたし、美脚美犬でしょ。

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みなさん元気で夏をのりきって!

それでは今日は、「さよなら、さよなら」

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新島学園
「八重の桜」(2013年NHK大河ドラマ)のゆかりを訪ねて。

新島襄・八重ゆかりの地ウオーク(9月8日) 特別公開先

新島学園 フィリアホール2階 「湯浅記念資料室」(7/25)

新島襄の遺髪・愛用の硯・危篤の電報など貴重な品が保存されていました。

新島学園創立者、湯浅正次は有田屋の5代目当主でした。

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男児志を決して 千里に馳(は)す
自ら苦辛(くしん)を嘗(な)む 豈(あに)家を思わんや

却(かえ)って笑う春 風雨を吹くの夜
枕頭(ちんとう)尚(なお)夢む 故園(こえん)の花  

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元治元(1864)年6月14日(陰暦)夜半、函館港に碇泊中の米船ベルリ
ン号に乗船した新島襄は、同年7月9日、上海でワイルド・ロウバアー号に乗
り替え、翌慶応元年7月20日(陽暦)ボストン港に入港した。

ちょうど1年の船旅でした。

この漢詩は、ワイルド・ロウバアー号での航海中に日記「航海日記」に書きと
めた作品を、明治16年1月に、自宅で浄書したもの。

新島先生生誕百五十年を記念し、この碑を建立。

庭園は、漢詩イメージを創作したものであり「故園」と命名。
写真の枯山水庭園、大海を模した白砂の中、上方の石は船に見える?。

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良心の碑

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礼拝堂は大きく、千人収容できるが、中学・高校一緒では入れないとのこと。

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寒梅

 真理は寒梅の似(ごとし) 敢えて風雪を侵して開く

もっとも小さな花にも神の愛があると考えた新島は、特に梅の花を愛好し、色
々なところに観梅に出向いたそうです。

「寒梅」の漢詩は、新島の教え子である深井英五に書いて与え、観梅を勧めた
ものといわれています。

ここに展示されているかけじくは「寒梅」の複製で新島学園中学校、高等学校
第3代校長岩井文男氏が所有したものです。

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新島襄(1843~1890)

アメリカで大学を卒業、さらに神学校に進んでキリスト教神学を研究した。

1874年(明治7年)帰国し、安中に住む両親を訪ねた。

1875年同志社英学校(同志社大学)を開学し、キリスト教学校建設の初志
を実現しました。

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新島学園
 
安中市安中3702
 Tel:0273-381-0240







チョコの散歩道
キチョウが3羽、「ひらひら」と舞を舞うように飛び回り、休んでは又踊ってます。(7/25)

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自然摘果で未熟果が落ちてます。

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オニグルミは熟してきた?

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モンシロチョウ

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ヒマワリ畑、いくつか咲き始めました。

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紅白共演

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今年も咲きました

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妙光院
妙光院

江戸時代幕末まで,藩主板倉家の祈願所だった。
 
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藩内近くの寺が住職を交代して務めたという。

本堂内が広く、祈願する際に集まった真言宗の僧侶の人数も、多かっただろう
と言う。

江戸時代3度の火災にあい、最後の再建による欄間の彫刻は見事で、制作年数

と金額は多大だったようです。完成しないうちに明治を迎え途絶えた。

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板倉家の仏壇と位牌

明治維新で安中城取り壊しにより、城内より移入したもの。

寺の外壁を壊し移入後、再び塗りなおしたという。
位牌堂屋根部分が壁に塗りこまれていて、外壁も一部飛びだしている。

位牌は表のみ文字が書き込まれている。

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住職が登城の際などに使用したという、籠。

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新島襄の祖父弁治(明治3年没85歳)と弟雙六(明治4年没25歳)が眠る。

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板倉勝明公の次女、瑛(えい)の墓。

安中藩16代藩主板倉勝殷の養子の妻となる。

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金太郎の墓

勝殷公の二男。幼くして亡くなる。

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新義真言宗
久光山妙光院

安中市安中3-1-34
Tel:027-381-0356








満行寺
宝蔵寺から満行寺まで歩くには

宝蔵寺西の兎沢川を渡ります。

わずか数mと短い「兎沢橋」なので、車なら橋だと気づかないかも。

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兎沢橋(うさぎさわはし)

昔、兎がたくさん住んでいたのでしょうか?

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すぐ右に曲がり再度兎沢川を越え、沢伝いに天竺尾根の峠まで登ります。
昔は、川の手前を右に斜めに登ったという。橋に頼らない道を造ったのでしょう。
途中沢が左右に分かれますが、左手の増田山頂方向に入ります。

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以前は通行人がありましたが、今は利用されずに雑草で行けません。残念!

天竺尾根遠景。

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車で上後閑地区に迂回し、天竺尾根方面に登ります。
やはり途中までで、道は藪の中に消滅?

他に複数の道があったので、次回リベンジしたい。

小規模な市町村制で、他行政区への道は整備が取り残されたようです。
自称「古道散歩愛好家」としては、せめて歩いて通行できる道巾の確保・整備
を願いたいものです
合併後の、広い視野でみた地域のネットワークの基盤整備が期待されます。

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天竺尾根を越して来たつもりで、下ります。

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龍貝戸橋(りゅうかいとはし)で、後閑川を渡ります。

少し下流の大平橋は、巾が狭く軽自動車までです。

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振り返ると、天竺尾根の北側が見える。

碓氷川から北の市内は、地盤の生成年が比較的若く、もろくて崩れやすい地質
なので、低く穏やかな景色となっているとか。

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東・西2本の道路の内、東側の農道から入ってみます。

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満行寺が別当を務めた榛名神社。

約200段の石段の途中に仁王門と、終段上に簡素な社殿が。

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左手には、諏訪神社が。

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道路を挟んだ杉林の中に、寺伝で源義国夫妻の墓とされる一角がある。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は2基あるが、それ自体は近世のものとされる。

源義国 寛治5年?~久寿2年(1091?~1155)

 平安時代後期の河内源氏の武将。源義家(1039~1106八幡太郎)の子。
 新田・足利両氏の祖。

 叔父(義家の弟)義光(1045~1127新羅三郎)との対立(常陸合戦1106)
 に敗れ、常陸国は義光流の佐竹氏に譲る。
 
 足利庄を成立させる。晩年にも藤原実能の屋敷を焼払い勅勘を蒙る。

  その父頼義(988~1075)は前九年の役のなかで、大敗した黄海の戦いでは
  長男義家の活躍で、わずか6騎となって逃れた逸話がある。その後やっと
  安部氏を平定した。
  義家は、後三年の役で勝利したが恩賞はなかった。

平清盛(1118~1181)が出現してくる直前の年代で、37年間は重複する。

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満行寺(まんぎょうじ) (古くは密蔵院と言われたとも)

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山号、青木(あおき)山

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本尊 延命地蔵菩薩(作者 不詳 鎌倉時代)

宝蔵寺も当初地蔵菩薩が本尊であったが焼失したという。復活したいものです。

木彫神像等4躯は県指定重文となっている。

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開山 深秀法印(じんしゅうほういん) 久安元年(1145)

開基 源義国(よしくに)(1091?~1155)

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中興開山 弘英法印(9世) 永世17年
中興開基 新田伊勢守信純(のぶすみ)(?~天正7(1579)年)(後閑城主)

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いつの日か宝蔵寺から、天竺尾根を越え、満行寺まで歩いてみたい。


 真言宗豊山派
青木山地定院満行寺
  安中市上後閑字満行1561
    Tel:027-385-8952






チョコの散歩道
「まだかなー」夕方の散歩の時間、暑さが和らぐと出かける時間に。
「おまたせー」

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今年も、いい香りを振りまいて、存在感抜群。

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サルスベリも咲き始めました。

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モントブレチア

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和名は、ヒメヒオウギズイセン

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これは?雪の結晶のようです。

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一休み。

六地蔵も、梅雨や日照り続きでも「屋根があるので助かります」

カサゴは売れないようです。

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小さい頃、自転車の荷台にアイス箱をつけて、チリンチリンと鳴らして「アイ
ス売り」のおじさんが来たのを思い出します。

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キツネノカミソリ 
「きつね」と「かみそり」の組み合わせは考えられませんね。

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足元の石の上にカブトムシが。チョコも鼻を付けて、?。

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田んぼの水路でしばし個室休憩(定員お1犬様)。

あまりの暑さに、冷水露天風呂。「チョー、気持ちイー、サイコー」

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塩釜水産仲卸市場 
塩釜水産仲卸市場  (6/28)

東北復興応援買い物ツアー。
午前中営業だが、11:30頃から店じまいとのことで、急げ。

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津波の被害は、地盤沈下が所々に。
交差点から道路に沿って水が進んだが多くはなかったというが。

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御座船

パンフレットを見ると、「日本三大船祭り」に数えられる、「塩釜みなと祭り」
(7/16)に使われる御座船のようです。

他の2大祭りは、厳島神社(広島県)の「管絃祭」、貴船神社(神奈川県)の
「貴船祭り」です。

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かまぼこ工場

工場見学と昼食(もちろんかまぼこ入り)

このかまぼこ工場も一階のここまで浸水。

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通路には、復興の経過が職員の努力と感謝のメッセージと共に、掲示されていた。

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2mほどの津波で、浮いた車は船と一緒に流されていく。

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建物の地盤は、過去20年で2段沈下を続けてきた。

そして今回、さらに大きく沈んだ。

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堤防には、かさ上げした工事の跡が。

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開削された濠は、海へとつづく。

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南三陸町を忘れない 
記憶に残そう東日本大震災 (6/28)

朝食後、南三陸ホテル観洋の阿部女将の講演をお聞きした。

彼女はライフラインが切断された中で、従業員・宿泊客・避難者の生命と安全
を確保し、弱者・次世代を担う者への配慮まで予見し、計画的に実行した。

まさに「おかみ」に「将」の字が当てられているのにふさわしい、統率・指揮
を行った。これから起こりうる災害への対処に活用させていただきたい。

2011年3月11日午後2時46分 宮城県沖でマグニチュード9
                  宮城県内栗原市で震度7の地震発生

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突然の大きな揺れ、津波が予想された。

青いうみが墨色に変わり水位の上昇、土けむり、目の前の出来ごとにただ祈るだけ。

[高い水門は津波を防ぐはずだった]

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地震の約30分後に発生した発生した大津波が、三陸沿岸一帯を襲い、一瞬で
街を呑みこんでしまった。

その後引き波が家々を海へと運び、残されたのは瓦礫と何もないコンクリート
の建物だけでした。

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志津川病院

4階建て最上階まで達した津波。入院患者102名中、72名が死亡・行方不明。

屋上に42名が避難した後、五階会議室で暖を取るが、夕刻から降る雪の寒さの
中7名が次々と低体温・低酸素症で息を引き取った。

[重機により間もなく視界から姿を消す建物、記憶には残そう]

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遠方に防災対策庁舎が見える。

木造の建物は流され、わずかにコンクリートの建物の外壁が残った。

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明治29年 明治三陸大津波
昭和 8年 昭和三陸大津波
昭和35年 チリ沖地震津波 と過去3回の津波で被害を受けた。

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一夜明けるときれいな朝日が昇ったが、街は戦場の跡のようだった。

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発生から約1時間後、町区の方面から瓦礫や家屋がホテル観洋の前を流れて行き、
引き波で、眼前の小島に歩いて行けるほどになった。

過去の津波でに魚を取りに行き犠牲者となった話が伝わっているという。

津波は何波も来た。

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ライフラインが止まり生活の厳しさがすぐきた。
ホテル観洋地区で7月上旬、町内全域で8月上旬通水。

川で洗濯し、食器を洗う4ヶ月間だった。

自衛隊の方々による水の支援は助けられた。仮説トイレや仮設のお風呂にも感謝。

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12月末までに中心部の瓦礫はほとんどかたずけられたが、大量で処理は始ま
ったばかり。

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防災対策庁舎

建物の高さ15m、アンテナ3mある。津波は17mで建物の上2mを覆った。

役場職員42名が避難したが、アンテナ部分や非常階段につかまり助かったの
は、10名しか残らなかった。

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防災無線

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」

多くの命を救ったこの防災無線の声の主は、遠藤未希さん。

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天使の声

この建物2階に放送室があり、遠藤さん(24歳)がマイクを握っていた。

ここで最後の最後まで町民に避難を呼びかけた。

「天使の声」が埼玉県の公立高校の教材に載ることが報道された。

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遠藤未希さん

遠藤さんは、志津川病院で産声を上げた。両親は「未来に希望を持って生きて
ほしい」という願いを込め「未希」と命名した。

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遠藤さんは前年婚姻届を出し、この年9月結婚式をあげる予定だったという。

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献花台に野球のユニホームが掛けられている。

遠藤さんの上司で同じく帰らぬ人となった三浦さん。

三浦さんは中学校の野球部のコーチをしており、教え子がコーチのユニホーム
に寄せ書きをして掛けたという。

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この防災庁舎の建設にあたり、この場所(町役場敷地内)は危険だからもっと
高地へという意見があったという。

また防波堤を超す6mの津波が予想されることには、1m位なら越えても大丈
夫と町長が返答しその場で対応を指示したとか?[実際は17mの津波だった]

[一つの判断が職員の多くをなくし、その後の復興に影響しているという]

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この防災対策庁舎も取り壊しになる予定とのこと。

[この地で献花・追悼をさせていただき、すべての犠牲者への慰霊を願う。合掌]

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南三陸町の夜明け
バスの車窓からの風景、海辺へと近ずく (6/27)

津波の破壊力、分かっているつもりだった。だが目の前の現実は違う。

あの日から1年3ヶ月経過してるのに、生々しい傷跡。

昨日のことか?と頭の中が混乱する。

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南三陸温泉 

部屋の窓越しに海の景色を眺める。かもめの群れが集まり話しかけてくる。

ベランダに停まり、歓迎のポーズ。

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日の出を待つ、4:13予定 (6/28)

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一瞬強い赤光が目を刺す。

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ぐんぐん赤い光の面積が増す。

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完全に離陸。

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後ろの一段高い施設に避難したという。

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志津川湾の日の出。海も空も赤く染め、今日も新しい一日が始まる。

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自然は無言だ。地球は生きている。無言の内に秘めたエネルギーは凄まじい。

人間は500万年も生きてきた。津波も、幾度となく知っていたが勝てなかった。

自然の前になすすべはないのか? これからの事を考えよう。

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南三陸 ホテル観洋
  宮城県本吉郡南三陸町黒崎99-17
  Tel:0226-46-2442








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