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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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カブトムシ
広河原橋に近づくと、一羽の小鳥が飛び去って行きました。カワセミ?

橋を渡り遠ざかると、川面を低空で橋方面へ帰って行きました。

夕日に瑠璃色の翼がピカリ。ジェット機のように早く直線飛行です。

小さいデジカメでは撮れないようです。

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カブトムシは元気に動き回っています。

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雨が降りそうで降りません。
ニュースでダムの取水制限が始まるとか。



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チョコの散歩道
昨日(29日)夕方のチョコの散歩、前方の川中の木の先端に綺麗な瑠璃色の
カワセミ?が舞い降りすぐ飛び去りました。

残念!ポケットのデジカメでの1枚は。

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プロペラ集団、舞い上がる?

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今日はデジカメのシャッターに指を乗せ、静かに近づきましたが、不在。

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学習の森の小池の清掃で見た、「藻」がここにも。

広河原橋の上流から下流まで、「藻」の世界

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雨が少ないので水量が少なく、残暑で水温が上昇して「藻」に快適な環境に?

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安中城図(安中文化会発行 美濃部家所蔵)を見ると、安中城の北を流れる九
十九(つくも)川は、「すく藻川」とある。「藻」と無縁ではなさそうです。

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一休み。

ここ(緑の三角地)には水車小屋「上車(かみぐるま)」が有った。

小さい頃、父と行ったことがある。水車が回り、ゴトンゴトンと米を撞いていた。

地区で共同使用するもので無人、下流の地区には中車(なかぐるま)が有った。

撞きあがる頃、取りに行く。

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水車小屋の下の川は、不思議と水量がなく平らで歩いて渡れる。

川底の岩盤が平なので、水が左右に幅ひろく流れ、水深が浅い。
橋が流されても、歩いて通行できたとか。

古東山道(あずまやまみち)とも言われ、大戸道とも。(4/5

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歴史講座・九十九を語り継ぐ②
九十九の古代と古墳(8/24)

<弥生時代>

水稲耕作の技術が伝わり(約2300~2500年前)弥生時代に入った。
この水田耕筰が始まった頃から、古墳が作られるまでの約600年間を言う。

竪穴住居に住み高床の倉庫や弥生土器を作り、石器・木器ほかしだいに鉄器・
青銅器も使われるようになった。後期にガラス製品も使われた。

縄文文化の石器も使い、打製石斧を大型化した石鍬(いしくわ)を使う。

土器は、①南東北系の「深鉢」②東海系の「壺」③地元で作った「甕(かめ)」
が混在。
「赤い土器」を持った移民集団が長野盆地から移動し、碓氷峠を越え最終的に
高崎に移住し新しいムラを作り始める。(学習の森パネルより)

九十九地域では、中期の住居跡が小日向遠地会戸遺跡で確認され、小日向上野・
国衙下辻・下増田天神地区で土器片が出土。九十九地区の各地で弥生時代が始
まったようです。

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九十九地域では後期になると人口が飛躍的に増加し、安定した生活を送る人々
が増大した。小日向地区では、150軒を超す住居跡が発見された。

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稲作を支える「村」共同体意識が高まり、外敵から村を守る「溝」を巡らす。
村の首長が生まれ、富の差が墓の差として表われ「方形周溝墓」が支配的な族
長層に造られる。

この頃の日本の人口は約59万人。平均寿命は、縄文・弥生で15歳前後という。

次の古墳時代の礎が築かれる。


<古墳時代>

3世紀後半から、7世紀末中頃の約400年間。

土を地面より高く盛り上げて墓を作ること(特に前方後円墳)が盛んにおこなわれていた。


弥生時代の「村」は、村の連合として「国」に発展する。

この「国」が周囲の村や「国」を吸収・統合により「大きな国」が地方ごとに
成立していく。

「大きな国」の首長は、「小さな国」を支配下に置く。
多くの労働力で灌漑や治水工事を行い新田を開き、権力の象徴として大きな古
墳を築いた。

中でも前方後円墳は王様クラスのみが作ることができた古墳といわれている。
安中市内では、簗瀬二子塚と琴平山の2個のみ。

簗瀬二子塚古墳は、市内最大の前方後円墳。東日本で最も古く横穴式石室を採
用した古墳。 (学習の森パネルより)

九十九地域で唯一の前方後円墳である、琴平山古墳(小日向)が注目される。

発掘品は東京国立博物館に保管されており、閲覧申請しても2年程待つとか。
埴輪は、藤岡(落合)で焼かれたもの(粘土にここしかない成分が含まれる)
大きな埴輪をたくさん買って持って来るのは、大金が必要でさすが王様か?

上田中1号墳・2号墳(下の写真) (6/9) (6/10

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下増田上田中1号墳は、後閑3号墳と同じ石室と羨道がT字型。

竪穴式石室から横穴式石室への古墳築造技術の変化の初期段階として注目され
ている。

さらに簗瀬二子塚古墳と同一の築造技術と、地域の関連性が注目されている。

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学習の森の「発掘された安中の遺跡2012」展で、上田中1号墳の発掘品が
展示されてます。 9月2日まで。 (8/26

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古墳時代だから古墳からの出土品のみとは、限りません。他の地域では。

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洗練されてますね、持ち手付きコップとはモダン。

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九十九創作館
  
  松井田町国衙84-1
  Tel:027-393-4236

東国文化歴史街道・・・ちょっとづつ研修 9月21日(金)
     定員30人 参加費2300円
7:45創作館集合17:30創作館着予定

歴史講座③  9月28日(金) 13:30~
歴史講座④ 10月19日(金) 13:30~ 共に現地散策予定。
講 師 : 神戸聖語 先生







芙蓉(ふよう)
芙蓉(ふよう)

国道18号「高別当」信号からと、同18号「碓氷病院入口」信号からの合流点。

いつからか? 地元の方々の共同作品「芙蓉のふるさと」が咲き誇る。

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熱風がそよ風に変わったような気がする、さわやかさ。

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薄いはなびらが空気のゆらぎに揺れる。その先に看板が。

計画中の産廃処理工場建設への「反対」看板。

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カメラを向けるとシラサギが舞い降りて来ました。

いつもカメラを向けると飛び立つシラサギ、視界に入ってくるとは嬉しい。

散歩で会ういつものシラサギかな? のどかで安全な田園風景です。

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気にしていた看板。

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近くを車で少し走ると、あちこちに看板がある。

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「産廃」が気になり、見上げると灰色の大きな山が目の前に。

ベントナイトの採掘カス?が野積状態、大雨などで崩れれば九十九川を堰き止
め氾濫の可能性も?。

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昨年3.11の原発爆発後の産廃には、汚染問題の解決が必須項目。

汚泥を肥料化すると言うが、汚染濃度の低い肥料でも、10回、100回と田
畑に与えれば、高濃度汚染の土地が発生。

ジョーカーで免罪符の「想定外」の言葉は使えない。

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半径2kmには、風向きにより強い臭気がただようとのこと。

九十九小学校付近から見えた景色を思い出した。(右が小学校と体育館)

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立ち並ぶ看板は、「芙蓉の花道」は必要だが、「産廃は不要」と訴える。

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残暑
連日の暑さは体にこたえます。

作物には、良さそうです。トマト・なす・ニガウリ・オクラが揃って大にぎわい。

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トマトは、赤・黄の2種類。

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ニガウリとなすも2種類。

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自然の力の恩恵に感謝。夏ももう少しです。



浅間山
沖縄に巨大な台風が、その影響は?

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黄金の日暮れ(浅間山は右の雲?の中)

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安中城址(4)
中山道安中宿内、大手坂の木戸を抜け坂を登ると町口門。

町口門で番所役人の許可を得て安中城内に入った所が家老屋敷、西方は武家屋
敷や奉行役宅が左右に並ぶ大名小路。

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北へ、広小路を歩いて行くと。

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右角に、太鼓櫓(やぐら)跡が。

左は、大手門入口に向かう巾広い大路。

  江戸時代の安政の遠足(とおあし)では、ここから太鼓の合図でスタート
  し、町口門から城外へでて中山道を碓氷峠の熊野権現まで走った 。
   遠足関連ブログは(5/13)(5/14)(5/18

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朽ちた看板一つ。城はムリだろうが、シンボルとして太鼓櫓を再建できないか?。

その理由は、「安中名物」のこの太鼓。

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安中には次のような言い伝えが残っている。

「安中に過ぎたるたるものが三つある
 其の一 藩主板倉勝明候
 其の二 安中の杉並木
 其の三 安中様のお太鼓」

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この太鼓は「安中様のお太鼓」と親しまれ、天和元年(1681)の安中藩主板倉
重形の時代から「時を告げる太鼓」として使われていたもの。

伝説では、かつては十五里離れた熊谷の土手まで聞こえたのだが、張り替えに
出した時に太鼓の中の金の鎌を抜かれたので前ほど響かなくなったとのこと。

明治以降は安中小学校で「校時を告げる太鼓」として用いられてきた。

昭和48(1973)年に張替えられ、その時の胴の中の記録によると文久3
(1863)年と天保9(1838)年に張り替えられている。

過去の張り替えの跡から推定しておおよそ約300年ほど前のものと思われる。

              「安中市の文化財」安中市教育委員会発行より

現在は、学習の森のロビーに展示。いい音色ですよ。

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学習の森 ふるさと学習館(歴史博物館)の前庭の中央を流れる水路?の掃除中。
藻(も)が増えて、こい緑色のかたまりができたとのこと。
ぴちぴち刎ねる音が。大漁か?小魚(ホソグチ)でした。

「発掘された安中の遺跡」 展示中 9月2日まで

1.7万年前、旧石器時代の石器4点(人見西向原遺跡)を始め、古代人の安中で
の生活が生き生きと眼前に。

学習の森
  
  安中市上間仁田951
  Tel:027-382-7622






チョコの散歩道
ヤマハギ

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どんどん伸びる、雑草の代表。

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これは?2㎝と小さい。

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枯れた切り株に、新たな生物。

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チョコの散歩道
破れクモの巣

未完成? それでもあわてず真ん中で一国一城の主。



十字☆?

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地中の芋は大きく?

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宝蔵寺のサルスベリ

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散歩道で、サルスベリ以上長く咲いて?ます。

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熊野神社
熊野神社

永禄2(1559)年、安中忠正が安中城を築いた際に、鬼門守護として越後新発
田(しばた)より勧請したもの。  板倉勝明(1809~1857)著 安中志より

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安中藩の安中城東門の脇にあり、参道を南に行くと中山道安中宿の東木戸(江
戸方)の宿内に続く。

安中草三郎の妻「歌」が、安中藩家老・尾崎の娘「おきわ」の兄「直之進」の
紋服に泥をつけたのはどのあたり?

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一段高いところに本殿がある。

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社殿は本殿と拝殿、弊殿によって連接したものであり、当初は弊殿はなく本殿
と拝殿は離れていたと思われる。

今の形になったのは江戸中期の大改修後と見られる。

元文4(1739)年の熊野神社祭典絵巻があり、これが大修理後の社殿の様子を
描いたものと思われることから、江戸中期に今の形になったのであろう。

          「安中市の文化財」より(市学習の森 文化財係 発行)

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嘉永7(1854)年の日付のある唐銅吊り燈籠1対がある。
これは安中藩主板倉勝明により奉納されたもの。

安中宿より奉納された、狩野法眼永秀知信筆(文久元年1861年)大絵馬もある。

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飛びだしそうな勢いの龍。

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本殿の浮き彫りは見事。

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元は、野後郷の鎮守であった諏訪社の御神木で、樹齢は推定で1000年という。

これに祈願すると疣(いぼ)がとれる霊験があるといわれたとか。

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現在は、落雷により樹身の3分の2が崩れ落ち、残る3分の1が北東に傾いて
しまったので鉄柱で支え補強している。

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「大榎(欅の誤り)社地にあり、中うろにして近郷に珍しき大木なり」安中志。

恐竜のような、大うろ。


熊野神社
 安中市安中3丁目22











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