カレンダー

01 | 2014/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 -

プロフィール

染太郎

Author:染太郎

職業:Confiseur    
   ジャム職人

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

訪問者数

最新記事

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

QRコード

QR

フリーエリア


ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

榎下城(久昌寺)
榎下城(鶴巻城) (26日)

榎下神社の東方に榎下城があった。
築いたのは安中忠親の弟の忠清。
大永5年(1525)6月、安中伊賀守忠清は松井田城から原市へ移り築城し、
榎下城(別名鶴巻城)と称してここに居住したという。
忠清は入道して角源と号したという。
榎下城は、150m方形の二重堀館城で櫓が3つあり、虎口は南一方にあった。
榎下城の中心に月桂山久昌寺(曹洞宗)が建っている。

下の写真の左の道路は濠の跡でしょうか?復元図では北奥で一部重なる
ようです。
別名鶴巻城は、城の全形あるいは家紋と関係あるのでしょうか?

DSC07591b_2014040122132914d.jpg

久昌寺

安中忠清は従三位を称しこの城において病死したという。
弘治3年(1557)10月17日享年83才。
久昌寺に自然石の忠清墓石がある。
清光院殿従三位入道前伊州大守樹林桂翁庵主とおくる。
忠清没後70年程後、安中久昌によって久昌寺開基。

DSC07592b.jpg

安中忠清は新潟県の米山薬師を勧請し守護仏とし、智賀戸明神や八本木
地蔵菩薩等も同じく勧請したと伝えている。

DSC07593b.jpg

DSC07595b.jpg

DSC07596b_20140401221336b31.jpg

久昌寺

スポンサーサイト
補陀寺
補陀寺の釈迦涅槃図が修復を終え御開帳されているので見学に行こうと、
武田さん(西横野)に誘われ案内していただきました。 (26日)

DSC07572b_2014040200314884f.jpg

武田さんが小さく見える程の大作です。

DSC07573b_20140402003149bbf.jpg

DSC07575b_20140402003151ef0.jpg

DSC07576b_20140402003152fc8.jpg

DSC07579b_2014040200355682f.jpg

DSC07580b_20140402003558d3a.jpg

DSC07587b_20140402003600739.jpg

DSC07588b_20140402003601689.jpg

DSC07577b.jpg

生き物すべてが悲しみの涙にくれています。

DSC07589b.jpg

DCIM0209b.jpg

松井田城主大道寺氏の墓

DCIM0226b.jpg

小板橋下総守の墓

DCIM0225b.jpg

DCIM0214b.jpg

補陀寺の懸額が、総門と本堂を結ぶ一直線上に3面ある。

DCIM0229b.jpg

総門に懸けられている月舟筆の扁額には「関左法窟」とかいてある。

DCIM0231b.jpg

金剛寺隣地の諏訪神社に行こうとしましたが、階段はまだ登れませんでした。
雪解けを待つことに。

DCIM0236b.jpg

補陀寺

チョコの散歩道
ようやく雪が融けてきました。
(石坂付近から九十九小学校を望む)

DSC07565b.jpg

梅にとって、雪は目覚まし時計でしょうか。

DSC07566b.jpg

重さと冷たさに耐えて、細い枝に開花しました。

DSC07567b.jpg

ミツバチさんは、まだ来ないようです。

DSC07569b_201402262304074d0.jpg
榎下神社
榎下(えげ)神社は、安中忠清(ただきよ)が榎下城を築いた大永5年(1525)頃
の創建と言われている。(「安中市の文化財」より)

忠清は地主神諏訪社を榎下城の鬼門の守護として遷座、その後正徳3年(1713)
社号を近津明神に改め、明治に至り旧に服し榎下神社とした。
(近津明神は、陸奥国一宮都々古別神社(福島県鎮座)を本社とする。)

DSC07533b.jpg

榎下城主安中忠清の子、安中忠政(忠正)は越前守と称した。
永禄2年(1559)野尻に城を築き、安中と改めたという。

(現在の安中市の名前の元になった人物です)

安中忠政は松井田城主となり防御を固め、忠政の子忠成を安中城主とした。

DSC07535b.jpg

しかし武田勢との戦いに安中城の忠成は降伏し、後に長篠の合戦で武田勢として
戦い討ち死にした。

松井田城の忠政は永禄6年(1563)武田勢に敗れ切腹を命じられた。
(「安中ふるさと人物辞典」より)

DSC07536b.jpg

参道は杉の小枝が落ち、雪は凍っているが踏み込むと地面までは20~30㎝
位あります。

DSC07537b.jpg 

本殿前左右のクスノキの大木から落ちた大枝からは、ショウノウの匂いがする。

DSC07538b.jpg クリックして拡大

DSC07540b.jpg

今日は「カゴノキ 第2回 見学会」とのことですが、大雪のため延期に
なったようです。
かごの木がどの木?なのか分かりません。
次回のお楽しみとなりました。

DSC07541b_20140225201124069.jpg

おおらかな文字の手水社。

DSC07546b.jpg

笠の形がユニークな御神燈。

DSC07550b.jpg

願主 当地 小林清三郎とあります。
現存されている家でしょうか(天保14年)。

DSC07551b.jpg

幹線道路はスムーズに走れるようになりましたが、路肩にはまだ雪が。

DSC07557b.jpg

榎下神社 原市3451-1 社叢(神社の森)は市指定天然記念物

記録的大雪
前橋で積雪73㎝、118年ぶりの大雪とNHKニュ―ス。
(前橋気象台によると、午前8時現在で明治29年1896年統計開始以来)
(従来の最高は昭和20年1945年の37㎝)
(草津でも午後1時に148㎝と観測史上最高を記録)

雪がやんだら雪かきと、のんびり外に出たらビックリ!

車が埋まっています。

息子の車を掘り出し、歩けるだけの細い通路を掘り進み、県道まで出たら
もう夕方。
黄色い作業車が1台通過して行き、他に通行車両1台のみなので道路の用
をなしません。

これでは明日も新聞は届かないか、3日分一緒か?。

DSC07465b.jpg

友人との午後の約束をキャンセルする電話をしたら、午前3時から除雪中
とのこと、頭が下がります。

DSC07466b_2014021522341879b.jpg

防災無線の家庭内スピーカーからは、無用な外出は避けるようにとの放送。

マイカーは使えないので、明日掘り出すことに。

停電世帯のニュ―スを聞けば、我慢することに。

DSC07468b.jpg

濡れた帽子やらをストーブで温めていると、中にはちゃっかり「ハル」が。

DSC07462b.jpg
チョコの散歩道
10日(月)、8日の大雪がまだ残っています。

DSC07440b.jpg

吹き溜まりで日陰のところは 、さらさら雪です。

DSC07442b.jpg

凍っていると滑ります。

DSC07443b.jpg

先に散歩した人の足跡以外、有りません。

DSC07444b_201402132154059d1.jpg

碓氷峠も寒そう。

DSC07448b_201402132156394b3.jpg

DSC07451b.jpg

プロフィールに使えそうな「足跡」が撮れました。

DSC07450b_20140213223206046.jpg
プレーパーク
いつものプレーパーク会場の公園に行って見ると、もう雪だるまが。

DSC07391b_20140211211550d4c.jpg

こちらには、雪だるまファミリーも。

DSC07392b.jpg

「かまくら」を作る事になったようです。材料の心配はありません。
昨日8日(土)の都心の積雪は、27cmで45年ぶりの大雪とのこと。
(30㎝を記録した1969年3月以来)

DSC07395b.jpg

暖かくなったので、雪だるまも眠く。

DSC07396b.jpg

「かまくら」も本体は完成、次に中をくり抜きます。

DSC07399b.jpg

ここでお腹のすいた子供たちにニュースが。
近くの白山神社で祭礼があり、おもちが食べられるとのこと。

DSC07419b.jpg

DSC07417b.jpg

境内はにぎやか。

DSC07415b.jpg

大釜で蒸して。

DSC07402b_201402112124445ce.jpg

二つの臼でつき、テントの下で女性の方々が、あんこ・からみ・きなこ・?
などを付けた餅を、トレーに乗せてくれます。

DSC07406b.jpg

臼を新調したようです。

DSC07410b.jpg

東側出入り口、大宮八幡宮の管理のようです。

DSC07414b_20140211212450828.jpg

公園への帰り道、小鳥も雪で食事探しか?

DSC07420b.jpg

ハトも近づいてきます。

DSC07425b_2014021121305573f.jpg

公園では、枯れ枝を燃して発電し、その電気でファンが送風するエコかまど
で加熱中。 (濡れた枝ですが良く炎が出てます、災害時役立ちそう)

DSC07431b.jpg

「かまくら」らしくなって来ました。

DSC07434b.jpg

帰る時間となり、一足先に公園をあとにしました。

DSC07435b_20140211213101dd8.jpg
板鼻さんぽ③
長傳(伝)寺

八幡山龍雲院長傳寺 曹洞宗 
開  山 長源寺9世、為景清春和尚

天文年間中期に下板鼻(現在の高崎市八幡町)八幡宮境内に長傳庵として
創立。
戦国時代、豊臣軍小田原進攻の際兵火のため八幡宮と共に焼失。
 
DSC07347b_201403301405126b4.jpg

慶長9年中山道改修令に伴い、時の領主里見讃岐守忠重の援助により現在地
に移転再建。

DSC07342b_20140330150333e08.jpg

DSC07337b.jpg

DSC07328b.jpg

本堂の欄間には、銘の残る石原常八、金子文五郎は日光東照宮の造営に
かかわった匠の流れを汲む人達であろうと推測されています。

DSC07335b_20140330140139dc3.jpg

境内には原(松本)思斎(学者)、松本左右助(和算家)、松本凌波(画家)
の墓があります。

DSC07339b.jpg

やはたみちの道しるべ

文政13年(1830) 角柱形 変体仮名 高さ90㎝幅24㎝
くさず いかほ はるな 河原湯 かね古 澤たり 志婦川
       行徳屋□右ヱ門 角菱屋定次郎 白木屋政吉

DSC07349b.jpg

板鼻下町の双体道祖神
寛政4年(1792) 祝言形 高さ116㎝幅100㎝

台座は道しるべを兼ねる。
當駅より京へ百七里三丁 江戸へ二十一里半丁 日光へ三十七里
善光寺へ三十七里 榛名山へ五里 妙義山は四里半 加州金沢へ九十二里半

DSC07353b.jpg

板鼻東方面から天神山を望む。左土手旧国道18号。

DSC07360b.jpg

板鼻陸橋下の双体道祖神と道しるべ

双体道祖神 安政5年(1858) 祝言形 高さ126㎝幅98㎝
道しるべ  宝永9年(1708) 名号塔 高さ 70㎝幅57㎝
      南無阿弥陀仏 右やわたみち 左はるなみち

DSC07361b_20140330150223104.jpg

称名寺

丘岳山正勧院称名寺 天台宗 
開 山  天徳元年 慈慧大師良源(伝) 
中興開山 永享年間 明尊法印
開 基  徳定(伝)

中興以前の本寺は八幡宮の別当寺であり、天台修験道場的存在だったと
言われている。

DSC07367b_2014033014072634b.jpg

市指定文化財の梵鐘は、境内寺院泉徳寺にあったものですが、廃寺により
当寺に帰属したもの。
同じく境内寺院の東福院跡の山崎稲荷は、当寺管理。

DSC07365b.jpg

逆さ楓の伝説
佐野源左衛門常世の馬の鞭代わりのもみじの枝を逆さに刺したところ、
立派なもみじの大木になったという伝説。

長傳寺

板鼻さんぽ②
板鼻堰

雪が残る道端の水路には、水晶のような氷が水の流れに踊っていました。

DSC07297b_20140330115406fa9.jpg

かつて養鯉池だった名残でしょう、取水口から地面の下へ水が流れて行きます。
流水を使う「三角型流水養鯉法」で狭い池で多量の鯉を飼育することが出来ました。
今は昔の様子を想像するのみです。

DSC07299b.jpg

この先で旧中山道と接しています。

DSC07300b.jpg

金井忠兵衛旅日記」のスタートはここからだったのでしょうか。
群馬・ふぉと雑記帳さんのブログに詳しく。

DSC07302b_201403301154135f0.jpg

中山道に入らずに、このまま板鼻堰さんぽを続けましょう。

DSC07301b_2014033011541168d.jpg

板鼻堰は、板鼻・八幡・剣崎・藤塚・上豊岡・中豊岡・下豊岡地区を潤し、
烏川に落水しています。

DSC07306b.jpg

DSC07310b.jpg

大乗院下の巨大庚申塔

寛政9年(1797) 青面塔(2猿) 高さ212㎝幅170㎝ (大乗院は無住)
石工信州福嶋住 三澤染右衛門吉徳

DSC07312b_20140330120147087.jpg

DSC07316b.jpg

DSC07318b.jpg

八坂神社(ちびっこ広場)の双体道祖神

寛政9年(1797)器物奉持形 高さ120㎝幅85㎝ 祝物(とっくり・椀)を手に。

DSC07322b.jpg

板鼻堰

板鼻さんぽ①
板鼻公民館に9時半集合、案内は学習の森藤巻さん。

ここは板鼻宿の本陣跡。まずは聞名寺へ出発。

DSC09371b.jpg

板鼻の由来
藺草(いぐさ)の田んぼで藺田(いた)、鼻は突き出た地形をあらわす、。
先(崎)と同一の意味。

DSC07262b_201403292203446cc.jpg

水の街・板鼻の風景は「板鼻堰」なしには語れません。西から東へ流れます。

DSC07265c.jpg

5分程で聞名寺着。

DSC07283b.jpg

十二光筥(じゅうにこうばこ)「聞名寺の笈(おい)」昭和37年 県指定重要文化財

鎌倉時代の末期のもの。
1280年、一遍が遊行の途次聞名寺に置いたと伝えられる5品の1つ。
阿弥陀仏の12の異名にちなんで12個で1セットであり、その第7の箱が
残った。全面の上段に「七」と読める。

高さ39㎝、幅39.5㎝、奥行き27㎝。
上、下、台部の3段に分かれ、麻布を張り、黒漆が塗ってある。
経机に箱を重ねたような形で、時宗独特の法具である。
全国に同時代の品が3個しかない物の一つである。
 
僧尼の集団の持ち物は、椀・箸・麻衣・手拭い、数珠など「十二道具」
だけで、それらを十二光筥に入れて持ち運んだ。
また、法要、宿泊の時にあ十二筥を並べて僧尼を隔てる結界にした。
 
平成2年度県費補助事業として保存修理した。
特製ガラスケースないは、湿度70%が常時保たれている。
蓋の3色は「二河白道」の教えを表している。  (説明文より)

DSC07280b.jpg

本堂内に一遍上人の笈(おい)(十二光箱)や荒木寅三郎の書もありました。

DSC07278b_20140329220349176.jpg

時宗の宗祖一遍上人は、街道沿いに遊行(布教)の旅を続け、板鼻に聞名
寺を開いたと言われています。
時宗は本来は寺を持たず、道場と呼ばれる場所で布教していました。
道場川はかつて道場があった名残でしょう。
江戸時代に中山道が通り板鼻宿が設置されると信者の便宜と布教のために
現在の聞名寺の場所に移ったのでしょう。

DSC07281b.jpg

DSC07284b_2014032922084884a.jpg

取勝神社跡を通り、南窓寺へ。

DSC07290b.jpg

和算家、小野栄重の墓があります。宝暦13年~天保3年(1763~1831)
中野谷村に生まれた栄重は「上毛の数学栄重を得て始めて大なり」と評
された。

DSC07286b_20140329220850153.jpg クリックして拡大

DSC07287b.jpg

板鼻城跡

板鼻城を最初に築いたのは誰か、良くわかりません。
箕輪城の支城として、板鼻城主依田光慶がいました。

次に武田信玄により「螺郭(らかく)式」と呼ばれる築城方式により、板鼻
城(鷹巣城)が築かれました。
現在でも甲州流の堀や曲輪(くるわ)が比較的良く残っているそうです。
下の写真は螺郭の良く解る遺構のようです。

DSC07291b.jpg

板鼻城の西を回り再び板鼻堰に降りてきました。

DSC07296b.jpg

聞名寺



    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。