カレンダー

06 | 2014/07 | 08
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

染太郎

Author:染太郎

職業:Confiseur    
   ジャム職人

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

訪問者数

最新記事

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

QRコード

QR

フリーエリア


ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

萩原音吉翁の碑
萩原音吉 (7/8)

簗瀬城址から碓氷川を渡ると、萩原音吉翁の碑があるというので行って見
ました。

「中橋」を渡り、すぐ左折します、農道のような細い道を行くと右側にあります。
旧橋はこのあたりに架かっていたのでしょうか。

DSC00780b.jpg

萩原音吉は「碓氷座繰製糸社」(碓氷社)を設立し、初代頭取となった人です。

官営の「富岡製糸場」と異なる点は、民間の組合製糸という点です。
繭生産農家の地元に小規模な組合製糸をつくり、古来の座繰製糸により良質
な生糸の生産を目指しました。

品質向上と共に農家の所得向上がはかられ、碓氷郡から群馬県さらに全国へ
と碓氷社の方式が広まりました。

DSC00782c.jpg

この碑は明治15年建設され、篆額は初代群馬県令楫取元彦です。

萩原音吉翁能碑


スポンサーサイト
簗瀬城
簗瀬城跡が、城山稲荷神社になっているというので行って見ることに。

原市の旧碓氷社の南を西に曲がると、土塁の登り口に「簗瀬城址」の案内板
があります。

左(東面)の道路は堀の跡のようです。

DSC00785b.jpg

DSC00787c.jpg

右(北面)を見ると、堀がありさらに土塁が二重になっています。

DSC00786b.jpg

案内板の「虎口」から入ると、城山稲荷神社の社の横に立つので裏口から入った
感があります。

DSC00789b_2014070900142838b.jpg

境内に芭蕉の句碑がありました。

  このあたり 眼に見ゆる物 皆すずし  芭蕉

この地で詠んだ句ではないとの事ですが、南方の眼下に碓氷川を望み群青の
山並みを見れば、清涼感を感ずること句のごとしでしょうか。

碑の左下に刻してあるのは、磯部の庭造師(~明治30年没72歳)の句
  我おもふ 程には伸びぬ 柳かな     遠藤鶴池(つるいけ)
                (中仙道の詩歌を鑑賞~淡路先生講義より)
 
DSC00790b_201407090014305d8.jpg

碓氷川に続く南面は崖で天然の要害となり、北1Kmにある安中氏の榎下(えげ)城
の守りにとって重要な砦といえます。
榎下城の虎口が簗瀬城に隣接して、結ばれています。

戦国時代、武田信玄が安中城と松井田城を分断するため、ここから西300mの
八幡平に陣屋を構えたといわれるのもうなずけます。

碓氷川を渡河して台地上まで登るルートが限られていたということで、戦略的
立地に恵まれた場所だったのでしょう。

DSC00812b_20140709001709a1c.jpg

西面の堀も道路に、さらに東西に郭があったようです。

DSC00800c.jpg

城山稲荷神社の入口を登ると。

DSC00803c.jpg

簗瀬城の主郭に神社本殿が建っています。

DSC00805b.jpg

見上げる高さの燈籠。

DSC00807c.jpg

簗瀬城(原市城)




    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。