カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

染太郎

Author:染太郎

職業:Confiseur    
   ジャム職人

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

訪問者数

最新記事

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

QRコード

QR

フリーエリア


ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新島八重と会津若松(6)
会津武家屋敷

会津藩家老、西郷頼母(たのも)邸を中心に、旧中畑陣屋(県指定重要文化財)
や会津歴史資料館など「在りし日の会津武士」を身近に感じられるミュージアム
パーク。敷地7000坪

駐車場から石段を登ると、正面に冠木門、右に入場券売所、左にノボリと鐘楼風?。

DSC03759b.jpg

DSC03760bJPG.jpg

家老屋敷 西郷頼母邸

江戸時代中期の和様建築の粋を集めた、豪華かつ壮大な家老屋敷。

敷地面積2400坪、建築面積280坪、38室、畳328枚と広大。

西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、初代以来200年余代々家老職を務め、
1700石取りの家柄。 (1石は米2.5俵)

四脚門や式台玄関それに冠振りぐしに、九曜の紋章を付けた鬼瓦などは、格式の
高い西郷家ゆえにゆるされた特権であった。

追手門前にあった家老邸を、2年余の歳月をかけて復元したもの。

DSC03762b.jpg

西郷頼母近悳(ちかのり)

幕末期の当主。戊辰戦争の際、恭順論や藩主の京都守護職辞退を進言したもの
の容れられず、その後数奇な運命をたどりました。

西郷一族21人自刃の悲話は今に語り継がれる。

「八重の桜」では、西田敏行が演じる。

DSC03766bJPG.jpg

西郷四郎

慶応2年~大正11年(1866~1922)

会津藩士志田貞次郎(ていじろう)の三男。
四郎は明治17年に西郷頼母の養子となり、同21年に西郷家を再興。

講道館の四天王の一人と謳われ、得意技「山嵐」ではその右に出るものはなか
った。

四郎はまた、非凡な運動神経の持ち主で、投げられても地に着くまでに身をひ
るがえす柔軟さの故に「猫」と呼ばれた。

DSC03782b.jpg

四郎をモデルに、夏目漱石は「坊ちゃん」に山嵐を登場させた。

富田恒雄は小説「姿三四郎」を発表し空前の大ヒットとなる。

黒沢明監督のデビュー作も「姿三四郎」だったことは有名です。

DSC03765b.jpg

茶筒をかたどった?優美です。

DSC03768b.jpg

DSC03769b.jpg

DSC03777b.jpg

DSC03780b.jpg

DSC03784b.jpg

武器保管所
 
 つまずかず、すばやく武具が取れるよう、通路の畳に縁はない。

DSC03787b.jpg

籠城戦では頼母の母親や妻女など一族21名が自刃、白虎隊につぐ悲劇となる。

頼母の妻千重子は、籠城を知らせる早鐘が鳴り響くと、夫と長男をお城に見送
り、千重子は、「なよ竹の 風にまかする見ながらも たわまぬ節の 在りと
こそきけ」と辞世の歌を残し、足手まといにならないようにと、一族とともに
自害して果てた。

白虎隊飯沼貞吉の叔母でもある。

DSC03790b.jpg

明治32(1899)年、頼母は会津に戻り、城下の長屋に下女とひっそり暮らし
たという。

DSC03798b.jpg

会津歴史資料館

柳橋(涙橋)の戦いに散った華、中野竹子(1850~1868)。

 戊辰戦争時、婦女子まで戦闘員に駆りだせないという家老菅野権兵衛だったが
 、「ならばこの場で自刃します」と言う竹子達の決死の覚悟に止むを得ず許可。
 
 娘子(じょうし)軍の竹子は
 
   「もののふの 猛き心にくらぶれば、数にはいらぬ 我が身ながらも」
 
 と詠んだ短冊を薙刀に結び戦場で奮闘するも、敵弾に倒れる。

 「八重の桜」では、黒木メイサが演じる。


社会福祉の先駆者、瓜生(うりゅう)岩子(1829~1897)。
 
 喜多方市に生まれ、医者だった叔父を手伝うなどしていた岩子は、戊辰戦争
 で敵味方の区別なく負傷者の手当てを行いました。
 
 その行動は敵将だった板垣退助の心を動かしたと言われています。
 「日本のナイチンゲール」と呼ばれるようになりました。

幼児・女子教育の母、海老名リン。

男女平等・女性教育を訴えた、若松賤子。など会津の女性たちの活躍史を展示。

DSC03804b.jpg

茶室 嶺南庵

千の利休の子、少庵が鶴ヶ城本丸に造った茶室を復元。

武士社会で発達した茶道、死と向き合い精神を統一。

DSC03835b.jpg


会津武家屋敷

会津若松市東山町石山院内1
  Tel:0242-28-2525






関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://bberry1.blog.fc2.com/tb.php/105-9c9b95be
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。