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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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新島八重と会津若松(8・完)
鶴ヶ城

三ノ丸駐車場から二ノ丸方面へ。

大きな「八重の桜」のパネル。

DSC03898b.jpg

濠を渡ると東門で、二ノ丸へ。

DSC03900b.jpg

振り返ると、堅固な城の造りが。

DSC03903c.jpg

右側に三岐濠を見て渡る。

DSC03905b.jpg

廊下橋は木造で、落せる造り。

八重はここから入城した。

DSC03906b.jpg

葦名氏当時は屋根付き通路で「廊下橋」の名前の由来とか。
加藤氏以降、現在の橋のみになったようです。

DSC03907b.jpg

裏門

大手口が東であった築城当時は表門であった。

寛永16(1639)年の加藤明成による改築後、裏門となる。

本丸御殿の勝手口としても、重要です。

DSC03909b.jpg

裏門を入ると、城下の入場券売り場へ。

DSC03915b.jpg

これまでの天守閣は、江戸時代前期をイメージし黒瓦だったが、幕末期の赤瓦
に葺き替えた。

現存する赤瓦の天守閣としては唯一の建造物。

大広間跡から眺めると、さすがに大きく、美しい。

DSC03919bJPG.jpg

紙芝居 新島八重物語
 ~激動の時代を駆け抜けたハンサムウーマン~

地元のマンガクラブ作という絵とストーリー、そして「読み手」というより
「語り手」の素晴らしさに思わず拍手喝さい!

何しろ太鼓・鐘を数種類に打ち分け、正面を向いて十分な声量と明瞭な声で
の語り口、テンポの良さにすっかり合戦の渦中へ。

講談師?かと思い聞いてみると、声優ご出身とか、なるほどガッテン!
(写真がピンボケで載せられないのが残念)

DSC03921b.jpg

慶応4(1868)年1月京都の鳥羽伏見の戦いで、戊辰戦争が始まる。

八重の弟・三郎もこの戦いで負傷し、江戸・中屋敷で21歳の生涯を終えた。

8月23日(現在の10月8日)早朝、西軍は会津に入りました。

城下の火の手を見て、飯盛山での白虎隊の悲劇が起きた。。

「カンカン」という割場の鐘で、八重は弟・三郎の形見の服に大小の刀をさし、
鉄砲と弾丸袋を身に着け、廊下橋から入場。

八重は動きやすくするために、高木盛之助の姉「とき」に脇ざしで髪を切って
もらいました。

DSC03922b.jpg

「豊岡神社」から4斤山砲(しきんさんぽう)1門で、小田山の西軍砲陣に、
最初の夫の川崎尚之助と八重らで立ち向かった。

後方の小山が小田山。西軍の大砲、最新のアームストロング砲が城に火を吹いた。

DSC03930b.jpg

銃眼からの狙撃(人形展示)

八重は銃撃隊に加わり、西出丸の濠の向こうにいる西軍に狙いを定めました。 
八重の生家から日新館の方角が見渡せたか?

最新の7連発のスペンサー銃の弾丸は一日でなくなり、旧式の銃を使用したとか。

日本の「ジャンヌ・ダルク」ともいわれる所以です。

DSC03939b.jpg

夜襲の時、子供たちが連れて行ってと八重に頼むと、八重は容保(かたもり)
公に相談したという。

照桂院 松平照姫 (1832~1884)
 
 会津松平家の養女となり、鶴ヶ城に籠城した。本名 熙姫(てるひめ)。
 いわれのある「しだれ桜」があるという。

本丸から表門(鉄門)を望む。

DSC03926bJPG.jpg

八重の父・権八は、9月17日の門田一ノ堰の激戦で戦死。

9月22日ついに会津藩は降伏、1ヶ月にわたるろう城戦は終わりました。

西軍の勝どきが響く中、会津藩の者達は全員、三ノ丸に集められました。

その夜、会津藩の提灯が、西軍の提灯に変わっているのを見ながら、八重は
一首詠みました。

DSC03925b.jpg

9月22日満月の夜12時頃、

八重は敗戦で城を出る最後の日の夜、三ノ丸雑物蔵の壁に笄(こうがい)で歌
を刻んだ。

明日の夜は 何国(いづこ)の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ

DSC03953b.jpg

荒城の月碑

名曲「荒城の月」は、鶴ヶ城と青葉城をモチーフに作詩されたという。

土井晩翠直筆により、1番から4番までの歌詞が刻まれている。

晩翠は、八重の歌を知って書いたのだろうか?

DSC03955b.jpg

1643年 三代将軍家光の弟・保科正之が最上から23万石で入部。
1874年 鶴ヶ城取り壊し
1965年 天守閣再建工事落成
2012年 9月保科正之登場の映画「天地明察」公開
2013年 NHK大河ドラマ「八重の桜」で新島八重の物語が放送される。








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