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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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南三陸町を忘れない 
記憶に残そう東日本大震災 (6/28)

朝食後、南三陸ホテル観洋の阿部女将の講演をお聞きした。

彼女はライフラインが切断された中で、従業員・宿泊客・避難者の生命と安全
を確保し、弱者・次世代を担う者への配慮まで予見し、計画的に実行した。

まさに「おかみ」に「将」の字が当てられているのにふさわしい、統率・指揮
を行った。これから起こりうる災害への対処に活用させていただきたい。

2011年3月11日午後2時46分 宮城県沖でマグニチュード9
                  宮城県内栗原市で震度7の地震発生

DSC04108b.jpg

突然の大きな揺れ、津波が予想された。

青いうみが墨色に変わり水位の上昇、土けむり、目の前の出来ごとにただ祈るだけ。

[高い水門は津波を防ぐはずだった]

DSC04117b.jpg

地震の約30分後に発生した発生した大津波が、三陸沿岸一帯を襲い、一瞬で
街を呑みこんでしまった。

その後引き波が家々を海へと運び、残されたのは瓦礫と何もないコンクリート
の建物だけでした。

DSC04118b.jpg

志津川病院

4階建て最上階まで達した津波。入院患者102名中、72名が死亡・行方不明。

屋上に42名が避難した後、五階会議室で暖を取るが、夕刻から降る雪の寒さの
中7名が次々と低体温・低酸素症で息を引き取った。

[重機により間もなく視界から姿を消す建物、記憶には残そう]

DSC04124b.jpg

遠方に防災対策庁舎が見える。

木造の建物は流され、わずかにコンクリートの建物の外壁が残った。

DSC04126b.jpg

明治29年 明治三陸大津波
昭和 8年 昭和三陸大津波
昭和35年 チリ沖地震津波 と過去3回の津波で被害を受けた。

DSC04127b.jpg

一夜明けるときれいな朝日が昇ったが、街は戦場の跡のようだった。

DSC04129b.jpg

発生から約1時間後、町区の方面から瓦礫や家屋がホテル観洋の前を流れて行き、
引き波で、眼前の小島に歩いて行けるほどになった。

過去の津波でに魚を取りに行き犠牲者となった話が伝わっているという。

津波は何波も来た。

DSC04130c.jpg

ライフラインが止まり生活の厳しさがすぐきた。
ホテル観洋地区で7月上旬、町内全域で8月上旬通水。

川で洗濯し、食器を洗う4ヶ月間だった。

自衛隊の方々による水の支援は助けられた。仮説トイレや仮設のお風呂にも感謝。

DSC04131c.jpg

12月末までに中心部の瓦礫はほとんどかたずけられたが、大量で処理は始ま
ったばかり。

DSC04132b.jpg

防災対策庁舎

建物の高さ15m、アンテナ3mある。津波は17mで建物の上2mを覆った。

役場職員42名が避難したが、アンテナ部分や非常階段につかまり助かったの
は、10名しか残らなかった。

DSC04136b.jpg

防災無線

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」

多くの命を救ったこの防災無線の声の主は、遠藤未希さん。

DSC04137b.jpg

天使の声

この建物2階に放送室があり、遠藤さん(24歳)がマイクを握っていた。

ここで最後の最後まで町民に避難を呼びかけた。

「天使の声」が埼玉県の公立高校の教材に載ることが報道された。

DSC04141b.jpg

遠藤未希さん

遠藤さんは、志津川病院で産声を上げた。両親は「未来に希望を持って生きて
ほしい」という願いを込め「未希」と命名した。

DSC04142b.jpg

遠藤さんは前年婚姻届を出し、この年9月結婚式をあげる予定だったという。

DSC04152b.jpg

献花台に野球のユニホームが掛けられている。

遠藤さんの上司で同じく帰らぬ人となった三浦さん。

三浦さんは中学校の野球部のコーチをしており、教え子がコーチのユニホーム
に寄せ書きをして掛けたという。

DSC04154b.jpg

この防災庁舎の建設にあたり、この場所(町役場敷地内)は危険だからもっと
高地へという意見があったという。

また防波堤を超す6mの津波が予想されることには、1m位なら越えても大丈
夫と町長が返答しその場で対応を指示したとか?[実際は17mの津波だった]

[一つの判断が職員の多くをなくし、その後の復興に影響しているという]

DSC04155b.jpg

この防災対策庁舎も取り壊しになる予定とのこと。

[この地で献花・追悼をさせていただき、すべての犠牲者への慰霊を願う。合掌]

DSC04157b.jpg








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