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目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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安中城址(2)
漆園の記 碑

花火!新島襄旧宅の駐車場は盛夏の花園。

DSC04910b.jpg

旧宅の裏は、古墳公園?

古墳公園といっても古墳の上にいくつかの碑を集めたもの。

墳墓である古墳が主か、碑がメインか?分からない雑居状態の公園。

ここに、安中の宝物「漆園の記」碑がひっそりと、余生を過ごしている。

DSC04920b.jpg

安中藩主板倉勝明が、藩財政の立て直しと窮民救済の為に、領内に漆苗100
万本を植えさせたことと、領民への利益配分の約束が記されている。

碑文の文章は山田三川によるもので書は、福山藩の儒者小島知足、題字は宇和
島城主伊達宗紀、石工は江戸の広群鶴である。

残念ながら、勝明や三川の死去と共に事業は頓挫してしまった。

五料村で2万本を植えた資料が残っている他、市内各地で「漆塚」と呼ばれる
場所があるので、実際に100万本植えられたようです。

「漆塚」は、枯れた苗を丁寧に埋め塚にしたのだろうか?

DSC04922b.jpg

碑文の要約

上州の土地は桑や漆の栽培に適しているが、養蚕が儲かると言ってそればかり
である。
これは漆の方が養蚕よりも倍は儲かるということを知らないからである。

よって安政2(1855)年に和田義生、渥美貞行、山田載飛(三川)らが板倉勝明
の指示で領内の空いている土地を選んで領民に漆苗100万株を植えさせた。

また利益については4等分し、土地提供者、苗の購入にかかった費用、藩の収入、
領内の困窮者救済にあてると約束した。

このことを石に刻んで後の世でこの約束が違えられる事の無いよう伝える。

DSC04927b.jpg

この碑は元安中城本丸にあり、次に安中小学校校庭(安中城内)にあった
ものです。
現在地へ移ったのは、廃藩後の歴史を変える力が働いたのだろうか。

DSC04946b.jpg

上の写真、正面の石には安中市市民憲章。右のお店は「花みずき」(8/9

日本初?の「マニフェスト」とも言うべき「漆園の記碑」は、封建制度下にあ
りながら平等の精神を盛り込んでいる。

勝明公は新島襄にも影響を与えたという。

勝明公の「石に刻んだ約束」は安中市市民憲章と並ぶにふさわしい。

DSC04945b.jpg

板倉勝明公のさまざまな施策や遠足が、現在の安中市に観光収入をもたらして
いる。

他市と比較すると、文化財の観光への活用は始まったばかりでこれからです。

古墳公園で、井伊家大好きな大阪の tettyan50 さんの城談義を伺いました。

漆園の記 碑
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