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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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碓氷神社
~耳をすませば、思い出す~

松井田町五料の臼井小学校の前は、旧中山道。

ここに来ると思い出すのが、自転車の荷台に飴と紙芝居を積んだ、紙芝居屋。
校門の前なので子供が集まる。飴に気を取られ?題名や内容は覚えていない。

昔の校門の前から、この細い道を北に行くと、突きあたりが碓氷神社。
神社の祭礼の日には、この道に屋台がでて、狭い路がさらに狭くぶつかるよう。
叔父・叔母の家がここにあったので、お小遣いをもらって、繰り出した。

夜は蒸気機関車の音に布団を飛び出し、ライトと汽笛を浴びて興奮。
そんな思い出の家も、国道の拡幅で山の中腹へ移転。
古道も短く、耳をすましても人声は聞こえなくなった。

DSC06124b.jpg

国道18号信号「御所平」を渡り、信越線踏切を横切ると、碓氷神社。

DSC06133bJPG.jpg

由緒(説明パネルより)

創立年代不詳ですが、碓氷峠熊野神社より分霊し、碓氷郷の鎮守産土神として
祀られる。
慶安年間(1648~52)社殿を改築し、碓氷峠熊野神社の里宮として碓氷神社と
呼ぶ。

明治42年3月菅原神社(中木)、波古曽神社(小竹)・諏訪神社(平)・八
幡宮(横川)・その他五料の郷にある諸社等々を合併合祀し今日に至る。

大正3年村社に指定、その後神社制度の改革等により現在宗教法人碓氷神社となる。

DSC06107b.jpg

鳥居の脇には、横たわる道しるべ。どこにあった?

DSC06109b.jpg

燈籠は分解?

DSC06121b.jpg

伝説1

建久年間(1190~99年)源頼朝は、信州浅間の巻狩りの際当神社に祈願し、
境内に御所を置いた。
以来この地を「御所平」と呼ぶようになった。

頼朝は何人で来たのだろう?
境内は御所を置くには狭いようだが、当時の境内はどこまでだったのだろうか。

DSC06120bJPG.jpg

伝説2

正應年間(1288~93年)鎌倉北条氏は、この地が信州から関東への入口なので、
碓氷郷総鎮守として崇敬した。

光明天皇(1337年)は碓氷郷一宮と定め、崇敬・祈願された。

DSC06143b.jpg





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