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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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高白(こうはく)
高白の碑

高白は、源頼朝の愛犬の名前です。

もとは1坪ぐらいの方形で、ほんの少し高くなっていた言われているが・・・。
高さ70㎝ほどの自然石に種子6字を刻んでいる。

この地を「高白の墓」のある所と呼んでいたが、いつしかなまって「高墓」と
呼ばれるようになったという。
今ある碑は、江戸時代に建て変えたものだという。(松井田町の文化財より)

DSC06123b_20120925102755.jpg

中山道臼井小学校から北へ、御所平信号とJR信越線「高墓踏切」を渡り、右
碓氷神社)に行くと稲荷谷戸(いなりがいと)。

ここは昔、立派な稲荷の社があったといいます。

DSC06099b.jpg

左に坂を登ると、高速道路「高墓橋」の上に。

西には浅間山がそびえ、手前に碓氷峠がある。

高速道路建設前に、この付近を発掘調査した時、「使途不明の溝発見」と報道さ
れた。
やや南斜面の梅畑に、断面が半円形の溝が1本、東西に出ていた。歩いた形跡
がないので使途不明とされた?。

最近人見地区などから「東山道遺構」が発掘された。現地見学に行くと、梅林
で見た溝が両側にある道が何キロも続いていた。

長い年数の記憶がつながった。ここは東山道(古代の高速道路)だったのだ。
碓氷峠・高墓・人見等は地図上で一直線だった。

今では同じ場所を車が高速で走っている。

DSC06154b.jpg

高墓の集落に入り、お堂?のある角を右折。古い庚申塔もある。

DSC06151b.jpg

DSC06152b.jpg

集落をすぎて林道が大きくカーブする先に、小さい白い杭が。

DSC06077b.jpg

探していた、高白の墓を見つけました。

DSC06080b.jpg

源頼朝が、鎌倉幕府を開いた8年後(1193年)、浅間山麓での狩の帰り、陣
段操で休んでいた所、稲荷谷戸(いなりがいと)に猪がでたと注進があった。

頼朝は高白を連れ狩に出たが、猪を発見したものの雲内で、見失ってしまった。

3日後、再び裏妙義で狩をしたところ、高白は凶暴な猿との戦いで命を落とした。

DSC06084c.jpg

愛犬の死を悲しんだ頼朝は裏妙義が良く見えるこの地を選び葬った。

高白の墓があるため、高墓と言われるようになったと言う。

高白の碑は、村人によって死後559年の後、宝暦2年(1752)に建てられた。

梵字は、あーんく・あ・び・ら・うん・けん と記してある。

(説明パネルより)

狩をしたという、裏妙義・中木方面が目の前に見える。

DSC06094b.jpg

頼朝は、狩で良い成績の家来に松井田内の土地を与えたという。

源(木曽)義仲が、頼朝に長男を人質に差し出し、数百騎をつれて碓氷から信
濃に撤退した。その後京に上った。

頼朝が与えた土地は、義仲の勢力下だった土地と思えるが、どこであろうか?


高白の碑
(ご注意:足元が悪くまた、個人の梅林内のようです)



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