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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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諏訪大社下社秋宮
中山道(信濃)を往く(10/26終)-4-

秋宮も紅葉の秋を迎えたようです。

DSC07347b.jpg

菊は秋の象徴。

DSC07354b.jpg

かじの紋

DSC07356b.jpg

DSC07357b.jpg

御柱、大きいので画面に入りません。

マイク姿のガイドの方の案内で一巡り。お上手です。

DSC07359b.jpg

かじの木

DSC07361b.jpg

さざれ石、これが?

DSC07364b.jpg

DSC07366b.jpg

ここにもかじの木

DSC07367b.jpg

気になりますが、後日のお楽しみ。

DSC07368b.jpg

DSC07369bJPG.jpg

諏訪湖博物館の分館「歴史民俗資料館」

下ノ諏訪宿

下ノ諏訪宿は、中山道と甲州道中の接点(追分)にあり、交通・軍事上重要な
地でした。

はじめは、諏訪神社下社秋宮の門前町として、また温泉町として発達した集落で、
「湯之町」の名は室町時代中期ごろから史料のなかにみられます。
 
江戸時代になると、街道の整備とともに町並みも整い、中山道六十九宿の一つと
してたいへん賑わいました。

町並みは、長さ4町50間(約530m)、甲州道中の分を合わせると8町49
間(約960m)あり、立町(たつまち)・横町を中心に構成され、綿之湯あた
りがにぎわい、そこに問屋場がおかれ、その奥に本陣がありました。

DSC07373b.jpg

本陣は、最初小口弥右衛門(おぐちやえもん)が勤めていましたが、2代目の
時に不都合が有り処罰され、その後を岩波太左衛門(たざえもん)が引き継ぎ
ました。

問屋場は本陣が兼ねていました。
本陣は現在も庭と建物の一部が残されています。
本陣の庭園は中山道随一といわれるほどのものでした。

宿場の主な役割は、幕府など公用の物資輸送と宿泊業務で、これにあたったのは
本陣・問屋場・脇本陣でした。
ほかに一般の旅籠・茶屋などがありました。

DSC07391b.jpg

兜にかじの紋が。

DSC07402b.jpg

あちこちで温泉水が、さわると本物。入りたいですが、次回のお楽しみに。

DSC07403bJPG.jpg

DSC07404b.jpg

諏訪大社下社秋宮


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