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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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江戸城
江戸城跡(2/5)

江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌(1432~1486)によって創築
されたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城
をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭
の整備が行われ江戸城の総構が完成した。

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いつからあるのかお地蔵様?

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楠木正成(1294?~1336)

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学生の団体の定番コース

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二重橋

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坂下門も修理中でした。カーブを描く蛤濠。

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蛤濠

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内桜田門(桔梗門)
見学の予約客が並んで待っていました。インターネットで予約可能。

DSC09290b.jpg

辰見櫓

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和田倉門(パネルの説明)

この橋を、和田倉橋といいます。
ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ和田倉門
がありました。橋を渡った皇居外苑側には桝形石垣があり、橋と一体で
門を構成していました。

慶長7年(1602)頃といわれる「別本慶長江戸図」には橋が描かれ、
「蔵の御門と云、士衆通行の橋」と記述があります。
また、「御府内備考」には、橋の由来が「慶長12年の頃の図に、ここ
に和田蔵と称せし大なる御蔵二棟を図せり。是御門の名の起る処なり。
(後略)」と記され、蔵があったため門が名付けられたとしています。
なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺りは和田倉という村落であっ
たという説もあります。

和田倉門には、鉄砲10挺・弓5張・長柄槍10筋・持筒2挺・持弓1
組が常備されています。
警備は、譜代大名で2万石から3万石のものが担当していました。

この橋は、昔そのままに復興されたものですが、江戸城の門と橋を偲ぶ
のにふさわしい景観をみせています。

DSC09305b.jpg

歩き疲れた時には、銭湯が暖まり疲れが取れます。

DSC09308b.jpg
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コメント

三泊四日もありがとうね!
また遊びに来てくれ~
[2013/02/11 18:45] URL | やすゆき #- [ 編集 ]

江戸城跡
やすゆき様
おかげで江戸散歩が出来ました。
[2013/02/11 19:47] URL | 染太郎 #- [ 編集 ]


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