カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

染太郎

Author:染太郎

職業:Confiseur    
   ジャム職人

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

訪問者数

最新記事

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

QRコード

QR

フリーエリア


ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宝昌寺(五日市街道)
青梅街道・高円寺から分岐した五日市街道は、善福寺川を渡る。

(追記)渡る手前の細い道を右に入ると旧五日市街道で、かつて「七曲り
    の難所」と呼ばれた。
    写真の右から「白旗の坂」を下って来ると、右に民間信仰石塔の
    案内板がある。
    左(西)は「馬橋みち」で共に急坂の難所だった。

DSC07015b.jpg

    成宗村字「白旗」の念仏講中が建立した供養塔が3基ある。

DSC07013b.jpg

DSC07012b.jpg クリックして拡大(以上追記)

「成田」の地名は江戸時代の成宗村と、その東西に分かれた田端村から
とられた。
この地域には、武士が台頭してきた時代の伝説に因む地名や寺社が数多
く残されているという。

振り返ると曲がりながら川面に下りて来ている。 
昔の橋は少し上流(左手)にあったようだ。
五日市街道の旧道は「七曲りの難所」と呼ばれていた。

DSC04873b_20130923222754e82.jpg

源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中に「源氏の白旗」のように見えた
雲が現われたことから「白旗」、その雲の切れ間(「尾」のさき)にあ
たる場所を「尾崎」と名づけたといわれる。

五日市街道をさらに西へ進むと右手(北)に宝昌寺がある。

北の尾崎熊野神社は鎌倉から移住した武士が創建したと伝えられ、境内
にクロマツの巨木がある。付近に鎌倉時代から陣屋櫓(じんややぐら)
があったとされ、「矢倉」の字名の由来となっている。

DSC04872b_20130923222757134.jpg

さらに北方には須賀神社、西方には田畑神社がある。

田端神社は応永年間(1394~1427)上杉禅秀の乱の際に土着した武士が
勧請したことに始まるといわれる。田端村の鎮守社で、田の端にあった
ことから田端神社と呼ばれ、村名となった。

DSC04850b.jpg

鎌倉街道が南北に走っている。

DSC04851b.jpg

(クリックして拡大)

DSC04847b.jpg

曹洞宗 白龍山宝昌寺(以前は真言宗と思われる)

DSC04852b.jpg

DSC04853b.jpg

DSC04854b.jpg

寛文8年(1668)銘石造青面金剛立像には、「武州玉(多摩)郡中野郷
成宗村」と刻まれている。
中世期に「中野郷」に属していた杉並区内の村々は、近世初頭まで上記の
地名を使用していたようです。

DSC04855b_20130923223104522.jpg

DSC04871b.jpg

DSC04861b_20130923223108edc.jpg

豊川稲荷社の狐。

DSC04860b.jpg

宝昌寺
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://bberry1.blog.fc2.com/tb.php/452-9e9a9fbc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。