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吉良邸跡
赤穂事件①

元禄赤穂事件の現場になった吉良邸跡で開かれている義士祭へ。

JR総武線両国駅東口を出て東の道路を南下すると、左手は両国小学校。
登り旗と販売テントがにぎやかです。
義士祭、吉良祭、元禄市が同時開催中。

DSC06732b.jpg   DSC06736c.jpg

赤穂事件とは

元禄14年(1701)3月14日、松之廊下で刃傷事件が起きた。
毎年、将軍家から年始に朝廷へ奉上し祝詞の答礼として江戸城へ下向する
「勅使参向」の席で、饗応役の浅野内匠頭(35歳)が、儀礼指南役の高家
筆頭、吉良上野介(61歳)に何かを叫びながらいきなり斬りかかった。
殿中は血で汚され、儀式は台無しになってしまった。

この機を生母桂昌院が従一位に叙される大切なステップと捉えていた将軍
綱吉は激怒、内匠頭は即日切腹に処せられた。

幕閣の中には十分な取調べや原因究明もせずに下された、拙速過ぎる裁定
に異を唱える者もいたが、退けられ、吉良はお咎めなしとした。
             (すみだ歴史読本 墨田区観光協会より)

DSC06735b_20131217222257be1.jpg

テントの向かいに人だかりがしています。
ここに吉良上野介義央(よしひさ)邸の正門があったようです。

DSC06758b.jpg

元禄15年12月14日、寅の上刻(15日午前3時過ぎ)、47人の
赤穂浪士が本所2ッ目(現両国3丁目)の吉良邸に討入った。

DSC06756b.jpg

広い吉良邸で残され保存されているのは、ここ本所松坂町公園のみ。

DSC06737b_201312172200509a7.jpg

DSC06739b.jpg クリックして拡大

公園内は平成25年度義士祭式典会場となり、セレモニー中で入れません。
中は神主・巫女・招待者などで身動きとれません。

DSC06741b.jpg

観客の頭越しに見えるのが、吉良氏の木像のようです。

DSC06742b.jpg

周囲の小路は多種多様の売店でおお賑わい。

DSC06746b_201312172203077f8.jpg

突如目の前に、赤穂藩4人の家老の筆頭で、赤穂浪士の頭領大石内蔵助良雄
(44歳)が。
吉良邸奥深く斬りこみ、吉良氏の目前まで到達しているとは素早い。

DSC06755b.jpg

お腹がすいていたのか?カメラは食べ物に。

DSC06749b.jpg 

DSC06750b_201312282227168b6.jpg

赤穂事件②へ
吉良邸跡
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