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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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板鼻さんぽ①
板鼻公民館に9時半集合、案内は学習の森藤巻さん。

ここは板鼻宿の本陣跡。まずは聞名寺へ出発。

DSC09371b.jpg

板鼻の由来
藺草(いぐさ)の田んぼで藺田(いた)、鼻は突き出た地形をあらわす、。
先(崎)と同一の意味。

DSC07262b_201403292203446cc.jpg

水の街・板鼻の風景は「板鼻堰」なしには語れません。西から東へ流れます。

DSC07265c.jpg

5分程で聞名寺着。

DSC07283b.jpg

十二光筥(じゅうにこうばこ)「聞名寺の笈(おい)」昭和37年 県指定重要文化財

鎌倉時代の末期のもの。
1280年、一遍が遊行の途次聞名寺に置いたと伝えられる5品の1つ。
阿弥陀仏の12の異名にちなんで12個で1セットであり、その第7の箱が
残った。全面の上段に「七」と読める。

高さ39㎝、幅39.5㎝、奥行き27㎝。
上、下、台部の3段に分かれ、麻布を張り、黒漆が塗ってある。
経机に箱を重ねたような形で、時宗独特の法具である。
全国に同時代の品が3個しかない物の一つである。
 
僧尼の集団の持ち物は、椀・箸・麻衣・手拭い、数珠など「十二道具」
だけで、それらを十二光筥に入れて持ち運んだ。
また、法要、宿泊の時にあ十二筥を並べて僧尼を隔てる結界にした。
 
平成2年度県費補助事業として保存修理した。
特製ガラスケースないは、湿度70%が常時保たれている。
蓋の3色は「二河白道」の教えを表している。  (説明文より)

DSC07280b.jpg

本堂内に一遍上人の笈(おい)(十二光箱)や荒木寅三郎の書もありました。

DSC07278b_20140329220349176.jpg

時宗の宗祖一遍上人は、街道沿いに遊行(布教)の旅を続け、板鼻に聞名
寺を開いたと言われています。
時宗は本来は寺を持たず、道場と呼ばれる場所で布教していました。
道場川はかつて道場があった名残でしょう。
江戸時代に中山道が通り板鼻宿が設置されると信者の便宜と布教のために
現在の聞名寺の場所に移ったのでしょう。

DSC07281b.jpg

DSC07284b_2014032922084884a.jpg

取勝神社跡を通り、南窓寺へ。

DSC07290b.jpg

和算家、小野栄重の墓があります。宝暦13年~天保3年(1763~1831)
中野谷村に生まれた栄重は「上毛の数学栄重を得て始めて大なり」と評
された。

DSC07286b_20140329220850153.jpg クリックして拡大

DSC07287b.jpg

板鼻城跡

板鼻城を最初に築いたのは誰か、良くわかりません。
箕輪城の支城として、板鼻城主依田光慶がいました。

次に武田信玄により「螺郭(らかく)式」と呼ばれる築城方式により、板鼻
城(鷹巣城)が築かれました。
現在でも甲州流の堀や曲輪(くるわ)が比較的良く残っているそうです。
下の写真は螺郭の良く解る遺構のようです。

DSC07291b.jpg

板鼻城の西を回り再び板鼻堰に降りてきました。

DSC07296b.jpg

聞名寺
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