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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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金剛寺(1)
金剛寺の創建は長元年間(1028~1037)で開基は、碓氷貞光。
寺名は碓氷山定光院金剛寺。真言宗豊山派。

関東八十八ヵ所霊場 第3番霊場。本尊は十一面観世音菩薩像。
中興 応永元年(1394)年3月 慶秀僧都          (撮影5/25)

DSC03006b.jpg


碓氷貞光(954~1021)
 
 平安中期の武人。天暦8年生まれ、治安(じあん)元年9月死去、68才。
 初名は貞通。通称は荒太郎。碓井貞光、平貞光、橘貞光、碓氷定光等の
 別称がある。

 碓氷貞兼の子として碓氷峠(霧積山付近)の山中で生まれた。
 妻は産後の肥立ちが悪く亡くなり、貞兼も貞光が7才の時病歿した。
  
 父の遺言「立派な武将となって家名を挙げよ」を守り、山野を馳せて
 身体を鍛え武術を練り学問に励んだ。

 長じて源頼光に仕え、渡辺綱・卜部秀武・坂田金時と並んで四天王の
 ひとりとして勇名天下に轟いた。
 
 伝説になった大江山酒呑童子退治は有名です。
 その後、生まれ故郷碓氷峠へ戻ります。


DSC03022b.jpg


源頼光(948~1021)

 満仲の長子で清和源氏の3代目。
 父満仲が摂津国多田に源氏武士団を形成し、頼光が継承。

 藤原摂関家の警備などの武士でもあり、摂関家の家司をも務める。

 藤原道長の父・兼家の葬儀の際、道長の堂々たる態度をみた源頼光は
 将帥の器であると感嘆して、自ら従うようになったという。
 
 藤原道長の権勢の発展につれてその側近である頼光も部門の名将「頼家
 の守護」と呼ばれるようになり、同じく 弟の頼信と共に後の清和源氏
 の興隆の礎を築く。

 後世に成立した「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」、室町時代成立の
 「御伽草紙」などで丹波国大江山での酒呑 童子討伐や土蜘蛛退治の
 説話でも知られる。
 古典「平家物語」では精兵の1人として頼光の名が挙げられている。


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藤原道長(966~1028)
     康保3年~万寿4年12月4日(1028年1月3日)

 道真は一条天皇に長女彰子を中宮とし、三条天皇が即位すると次女の
 妍子(けんし)を中宮とします。
 
 三条天皇の眼病を理由に、彰子が産んだ敦成(あつなり)親王を即位
 させ後一条天皇とし摂政となりますが、一年で息子頼通に譲ります。
 
 さらに娘威子を後一条天皇の中宮にし「一家立三后」と驚嘆されました。
 そして盛大な祝宴を開き詠んだ歌は有名です。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」


 文学を愛好した道長は紫式部・和泉式部などの女流文学者を庇護し、
 内裏の作文会に出席するばかりでなく自邸でも作文会や歌合を催し
 たりしました。


DSC03007b.jpg

DSC03042b.jpg

DSC03043b.jpg


碓氷貞兼霊社
 碓氷貞兼と貞光父子を祭った小さな赤い社。
 旧碓氷峠を群馬県側に少し下ったところにある。傍らに一つ家の歌碑。
 
とのこと、訪れてみたい。

写経体験は(5/26

金剛寺
  松井田町新堀1058
  Tel:027-393-0252



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