カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

染太郎

Author:染太郎

職業:Confiseur    
   ジャム職人

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

訪問者数

最新記事

検索フォーム

月別アーカイブ

カテゴリ

RSSリンクの表示

最新コメント

最新トラックバック

QRコード

QR

フリーエリア


ジオターゲティング

足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新島八重と会津若松(1)
会津藩校 日新館

江戸時代、全国300藩校の中でも規模内容ともに随一と謳(うた)われたの
が、会津藩の学校「日新館」です。

五代藩主松平容頌(かたのぶ)時代の家老、田中玄宰(はるなか)の「教育は
百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」との進言によって計画され
、5年の歳月をかけ享和3(1803)年に鶴ヶ城の西側に一大学問の殿堂として
完成しました。

新島八重の兄、山本覚馬は28歳で日新館教授となりました。

DSC03669b.jpg

什(じゅう)の掟(おきて)

什は会津藩における藩士の子弟を教育する組織。リーダーは什長と呼ぶ。
7ヶ条の掟が守られたか毎日反省会を行った。

藩校日新館に入学前の遊び仲間(6才~9才)が、毎日午後の集合遊びの前に
話し合う自治的な定めで制裁もありました。

「ならぬことはならぬものです」の真意は自分を律する基準で、「誓い」の意
です。

DSC03668b.jpg

楷(かい)
トネリバハゼノキ。別名「孔子の木」、学問の木と呼ばれる。

枝や葉が整然としているので書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。

DSC03673b.jpg

戟門(げきもん)
重要な建物を守るために、「戟」という武器を持った衛兵を置いて監視させた
ことから戟門と呼ばれました。

当時は、門に太鼓を置いて授業の時刻を知らせていました。

DSC03674b.jpg

左右の獅子像

DSC03677c.jpg

DSC03676b.jpg

大成殿
正面の大きな建物は、儒教の祖である孔子像を祀る大成殿です。

孔子の教えは、仁・義・礼・智・信・忠・考・悌・敬という。

DSC03678b.jpg

「大成殿」とその右側の「大学」との間に見えるのが、黄金の山で有名な「会
津磐梯山」です。

「大成殿」の左側には、礼儀作法を教えた「礼式方」を配しています。

手前にある池は、「洋水」(はんすい)と言います。
「洋」(はん)とは学校という意味です。

DSC03686b.jpg

これは?

DSC03681b.jpg

アカベコ 
「べコ」は牛、赤は魔よけの色という。

DSC03701b.jpg

弓道場
3つの派の弓術を教えていました。

DSC03702b.jpg

水練水馬池
復元された「日本最古」とされる水練場。
よろいかぶとを身に着けたまま、泳ぐ練習もしていました。

日本で初めて造られたプールと言われています。
水練場を備えていた藩校は他に長州藩の明倫館だけです。

DSC03703b.jpg

砲術場
小銃・大砲の訓練や、戦闘の時に使われる狼煙(のろし)の訓練をしました。

小銃の実射は、館外の射場で行われ、幕末になると洋式銃の訓練も取り入れま
した。

山本覚馬もここで教えていたのでしょうか?

DSC03707b.jpg



戊辰戦争において消失した日新館は、現在天文台跡だけが残っています。

昭和62年に会津の精神文化を後世に伝えようと、江戸時代建築の粋を集めた
観光博物館として、河東町に「日新館」が復元されました。

   福島県会津若松市河東町高塚山
     Tel:0242-75-2525

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://bberry1.blog.fc2.com/tb.php/95-649f23eb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。