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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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新島八重と会津若松(2)
山本覚馬・新島八重 生誕の地

米代(よねだい)2丁目にある。実際の生家はここから西方に50m行った所。
その東隣りは白虎隊士伊東悌次郎の家だった所。

弘化2(1845)年11月3日、新島八重は会津藩の砲術師範であった山本権八
(ごんぱち)・佐久夫妻の子として生まれた。兄覚馬・弟三郎がいた。

幼少期から、裁縫よりも家芸の砲術に興味を示す男まさりの性格だったと言われ、
特に日新館の教授であった実兄の覚馬からは洋式砲術の操作法を学び、銃の撃
ち方を白虎隊士にも教えていた。

DSC03893b.jpg

八重の人間形成期に最も大きな影響をもたらしたのが、兄覚馬です。

9歳で日新館に入学。24歳の時には馬・槍・刀の技を習得し武術がとても優
秀であった。

成績優秀者として江戸遊学後、会津に帰った覚馬は日新館の教授となり蘭学所
を設置し、兵制の改革にも取り組む。

軍事取調役兼大砲頭取に任命され、新設された日新館の射撃場でみずから師範
役として射撃を教えた。

DSC03895b.jpg

上の写真は、碑の裏面。

DSC03892b.jpg

碑の前の道は狭く、一方通行です。

個人のご協力で碑を建立したと同志社の説明文にあります。







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