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足跡を一つ二つ・・・歩いて行くと残ります・・・
目に止めた景色・古道散歩・昔ばなし・草木染め・などつれづれに綴ります.
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新島八重と会津若松(3)
飯盛山

会津若松市中心部から東に位置する山で、幕末の戊辰戦争時に奮戦した白虎隊
の自決地として知られています。

山腹には少年隊士の墓、自決地を示す石碑などが設けられ、南西方向には鶴ヶ
城も望めます。

DSC03710b.jpg

白虎隊記念館

中央階段下左の白い建物。白虎隊343名、籠城婦人山本八重等500余名、
中野竹子を隊長とする娘子(じょうし)軍20余名、会津応援の幕軍の将大島
圭介、新撰組近藤勇ほか西軍の資料が多数陳列されている。

DSC03712b.jpg

白虎隊自刃の地

20名の若き白虎隊少年達はこの場所から鶴ヶ城を見て、城が炎上していると
見誤り、主君・家族を想いながら自らこの場所で命を絶ってしまったのです。

白虎隊唯一の生き残り、飯沼貞吉少年の墓がある。飯沼少年は蘇生後、仙台に
移り住み、昭和6年6月12日78歳で亡くなった。

DSC03715b.jpg

八重は年が足りず「白虎隊」に入れなかった、15歳の少年「伊東悌次郎」に
毎日のように砲術を教えていました。

悌次郎(ていじろう)が引き金を引くたびに目を閉じてしまうので、八重は
「臆病!」と叱りました。心の中で、少年に弟の三郎を見ていたのでしょう。

その後白虎隊に入りました。城下にせまる西軍を防ごうと、戸の口原で戦った
白虎隊の戦死者の1人に悌次郎がいました。

DSC03714b.jpg

白虎隊記念館は昭和31年4月、当地出身の弁護士故早川喜代次氏により創立。

   会津若松市一簣(いっき)町大字八幡字弁天下33
  Tel:0242(24)9170






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